夢の歌
  
歌の翼に(3)
「でも、優勝賞金を当てにするなんて……本気?」
 並んで家路をたどりながら、サスキアはつぶやいた。
「ローマに知り合いなんていないのに、子供たちと路頭に迷うことになったら」


「いざとなったら、ロンドンに借金でも何でも頼めばいいさ。子供たちに広い世界を見せるいい機会だし」
「でも……もし予選すら通らなかったら、がっかりさせてしまうわ」
 サスキアはそっとウィリアムを見上げた。
「私たち二人で行くんじゃダメ?」


「ふむ。子供たちの世話は父さんと母さんに頼めるし、確かに頭数を減らせば、豪華なハネムーンにできるよね」
「そ、そういう意味じゃないわ」
 顔を赤くしたサスキアを楽しげに見つめてから、ウィリアムは口元を引きしめた。
「子供たちは一人でも多く連れて行くよ。君はサスキア・オスターデでエントリーするんだから」


「なに……それ」
 サスキアはよろけるように小走りになった。
「それが何の関係があるのよ? 旧姓で歌ったのは、ラジオ局での一度だけよ。まだ根に持ってるの?」
「そうとも。根に持っている」
「局の人に“サスキア・ブロアじゃ名前に華がない”って言われて、あのときは仕方なく」
 ウィリアムは深々とうなずいた。
「業界のプロの意見だからね。ローマの音楽祭でも、もちろん従うつもりだ」
「ヘンな人」
 サスキアは唖然として立ち止まった。遅れたサスキアを、ウィリアムが振り返る。
「そのために、みんな連れて行くんだ。どこから見ても既婚女性と分かるように、向こうではどこへ行くにも子供たちをゾロゾロ連れて歩くぞ」


 たっぷり数秒のあいだ、息をあえがせてから、サスキアは両手を振り回した。
「なあに、それ! 旧姓を名乗るからって、独身のフリなんかしないわよ!」
 ウィリアムは片手を上げ、肩や頭で黄色い風船がぽんぽんと弾むのを、落ち着き払ってさえぎった。
「歌手志望の若い娘を食い物にしようっていう悪徳興行主もいるそうだからね。ナメられないように」


 サスキアは降参した、というように大きくため息をついた。
「私が歌い終えると、子供たちが一斉に“ママー!”って言って取り囲むわけね」
「その通り」
「子だくさんの貧乏主婦じゃ、レコードを作っても売れないって、敬遠されるかもよ?」
「君の歌を聞いたあとで、まだそんなことを気にするような音楽屋なら、こっちから願い下げだ」
「ウィリアム」


 駆け寄ったサスキアを、ウィリアムは抱きしめた。しがみつくように回されたサスキアの手から、風船が離れていった。
「本当に? 本当に私の歌が、レコードになると思う? 見ず知らずの人が、聞いてくれると思う?」
 か細い声が小さくなりながら続く。
「もちろんさ」
「大丈夫」
「みんなついてる」
 ウィリアムは何度も繰り返しささやいた。