夢の歌
  
はじまりの島(9)
「マヤル、ほらこれもお食べ」
「おじいさん、もっとチャツネをどうぞ」
 清潔な土壁に囲まれた食堂で、一家が賑やかに食事をとっていた。濃厚なスパイスの香り。団欒は英語ではなく、やわらかく刻むシンハラ語(※スリランカの多数派言語)で話されている。


「マヤル、食べないのかい? お腹すいてるでしょう」
「うん……
 マヤルは自分の器の中で、カリカリした肉片をもてあそんだ。
「食欲がないの?」
「マヤル、おやつでお腹がいっぱいなのかい?」
 きゃしゃな体格の中年の男が、大きな目をしかめてマヤルをにらみつけた。
「まさか前みたいに、ブロア屋敷に行ったんじゃなかろうね?」
「違う、叔父さん!」
 マヤルは飛び上がって否定した。


「本当か? 約束を破ったと聞いたら、お前の父さんは悲しむぞ」
「やめないか、大きな声で」
「マヤルは言いつけは守る子だよ」
 皆がこぞってマヤルをかばった。食事の席を囲む車座には親戚一同が勢ぞろいしていたが、大人はみな女性や年寄りばかりで、壮年の男はその叔父だけのようだ。
「それに、マヤルにおやつをくれてた白人の奥さん連中の寄り合い茶会は、あそこではもう開かれていないよ」
「お屋敷には今は代理の管財人しかいないはずだろう」


 叔父は厳しい顔で首を振った。
「だから余計にだ。タミル人(※スリランカの少数派民族)の下働きに、残りものでも恵んでもらったか知れん」
「違う、叔父さん」
「本当だね? シーナマヤル」
 マヤルは愛称でない名で詰問され、震え上がっている。
「食事中だ。もうよしなさい」
 上座に座る年寄りにたしなめられて、彼はようやく引き下がった。


「おやつをもらったんじゃないのなら、どうしてお腹が減ってないんだい?」
「具合が悪いの?」
「違うの。あのね」
 マヤルは背筋をのばし、皆を見回した。
「マヤルは、もうカエルは食べない」
「どうしてさ?」
「揚げたカエル、お前の大好物じゃないか」
 テーブルの真ん中の皿には、スパイスにじっくり漬けて揚げられた脚の部分が、山と積まれている。
「これなら裏の池でたくさん獲れるし、お腹いっぱいお食べよ」
 黙り込んでしまったマヤルの器に、またフライを乗せてやる。
「しかし配給のスパイスじゃ物足りないねえ」
「こないだヤミで、カルダモンのちっちゃい袋をいくらに吹っかけられたと思う……
 女たちはそれぞれのおしゃべりに戻った。


「あ、分かったぞ。マヤル」
 マヤルとそっくりの顔をしたすぐ上の兄が、おどけて身を乗り出した。
「今日のカエルは、さばく前に確認のキスをしてないんじゃないか? 王子さまが料理されちゃったかも知れないって、心配なんだろう」
「あはは、そりゃ大変だ」
 兄と同い年のいとこも、一緒になってマヤルの顔をのぞきこんだ。フライをひとつ、つまみあげては、
「さあ、これかな〜? 王子さまを食っちまうぞ〜」
「違うの! もー、やー!」
「ほらほら。泣かなくていい、マヤル」
「お前たちも、いい加減になさい」
 べそをかいているマヤルを大人たちがあやし、少年たちは耳をひっぱられて悲鳴をあげた。


「子供たち、行儀よくお食べ」
 上座からふたたび老人の声がして、一同は静かになった。
「マヤル。何か思うところがあるのなら、いいからカエルは食べずにおきなさい。その分をお坊さまに差し上げれば、マヤルの功徳になるだろう」
「はい」
 かしこまった返事をして素直に食器を置いたマヤルを、女たちは心配そうに見守った。
「それからそのカエルの童話は、ブロア屋敷の子が持っていた西洋の本だろう。そんな話はせんでよろしい」
 白いヒゲを短く刈り込んだ、そのやせた老人が話している間は、みな殊勝に頭を下げて話に聞き入り、誰も口をはさまない。
「戦争がはじまって、宗主国の徴兵には仕方なく男たちを差し出したが、銃後の私たちまで、イギリス人に心を差し出す必要はないのだよ」
「はい」
「マヤルもこれからは、白人の学問ではなく、島の知識を身につけていくように」
「はい、おじいさん」


 叔父が気を取り直すように子供たちを見回した。
「そうだ。メシのあとで父さんが、この島の昔の王さまの話をしてやろう」
「怖いやつ?」
「呪いの宝剣のやつがいい!」
「さあ、早く食べてしまいなさい。マヤルもこっちなら食べられるだろう?」
 母親が干し魚のスープを取り分ける。
「たくさんおあがり」
「うん」
 兄たちの旺盛な食欲につられて口を動かしているうち、結局マヤルも山盛りの皿からフライをおかわりし始め、大人たちは笑みをもらした。