はじまりの島(10)
「まさか、こんな古い時代のことだったとは……」
グレッグは小さく首を振りながら、茶色い紙を見つめていた。
「その手紙は」
マロリーが静かに切り出した。
「私の友人が買い取ったものです」
「買い取った?」
マロリーはうなずいて、グレッグの手元の書類を優しく見つめた。
「マヤルの生まれた島はセイロン、そのあと一時スリランカ共和国と呼ばれた島です。現在、宇宙エレベーター二号機にアクセスするための窓口都市として大開発され、タプロバニー市国となっている」
一気に言い終えたマロリーは、グレッグがついてきているのを確認するようにひと呼吸おいた。
「マヤルが悩んでいた島民と白人との対立というのは、植民統治されたセイロン島と、当時の宗主国、大英帝国との間のものでした」
「そこまで、詳しく分かっているのですか……」
「はい。封筒には当時の消印がありましたから」
「封筒までが、つまり、売りに出されていたのですか?」
マロリーはグレッグの目を静かに見つめた。
「ティモシーがマヤルのために置いていった封筒には、帝国植民地時代末期の、たいへん古い切手が貼ってあったんです」
数秒の沈黙のあと、
「切手コレクター」
かすれた声でグレッグが言い、マロリーは少し首をかしげて笑った。
「厳密に言うと友人がやっているのは、趣味的、投機的な切手コレクションとは違いまして。郵趣と言いますが、世界各地の郵便制度と実際の使用例を通じて、人類文化の系譜をたどる、一種の資料統計学ですな」
「はあ」
「たとえば」
マロリーはいそいそと立ち上がり、積み上げてある資料の中から分厚いカタログ本を抜き取った。
「これなどはとても分かりやすい事例です」
あるページを開いてみせた。
指さしたのはシワのある古ぼけた封筒の写真で、宛名面には切手がきちんと並べて貼り付けられている。そして差出人の几帳面さとは違ったぞんざいなやり方で、種類の違うスタンプがいくつか押されていた。
「この国は急いで独立したはいいが、自国の切手を発行する余裕がなくてね。しばらくは代用の切手が通用したのですが、この抹消印がまた重要で」
写真にはどれも詳細な解説が入っていて、マロリーは熱心に指さしていたが、
「おっといけない」
苦笑し、またソファーに戻って腰を下ろした。
「私もすっかり感化されましてな」
「奥深い研究分野のようですね。ファンも多そうだ」
グレッグが言うと、マロリーは嬉しそうにうなずいた。
「ええ。要するに、一通の手紙にその時代が映し出されているわけです。話を戻しますが」
「マヤルが手紙を出し始めた頃というのは、消印によると第二次世界大戦が始まる直前、欧州は次第にきなくさくなっており、すでにアジアでは日中戦争が始まっていました」
「戦争が……マヤルは大丈夫だったのでしょうか」
グレッグがつぶやいたが、マロリーは少し黙っただけで、また口を開いた。
「封筒の表には、戦後の日付で、遅配をわびる付箋がはりつけられていました。マヤルの手紙は、投函後すぐには配達されなかったのです。そして付箋には、加算切手の請求についても書かれていました」
「加算?」
「料金不足ということです」
マロリーは淡々と続けた。
「ティモシーがマヤルに残した封筒には、戦前の英領セイロン発行の切手が正規の料金ぶん貼ってありました。しかし大戦の終結後、経済的に苦しくなった宗主国イギリスは、インド亜大陸の植民地経営から撤退し始めた。南アジアの各地で、かつての植民地が、次々と独立を勝ち取りました」
両手の指を軽く組んで、グレッグを見つめる。
「つまり、いざ配送となったとき、セイロンは自治国として独立を果たしていたのです。もう存在しない国が発行したその切手は無効になったうえ、国際郵便扱いになってしまった」
グレッグは目まぐるしい説明に、ただうなずいた。
「しかし、受理は独立まえの日付でなされてあるし、処置に困ったのでしょう、あちこちの部署をたらいまわしにされています。そのたびにどこかの事務局のスタンプを押され、いったんは差出人もどしにまでなり …… 」
グレッグの頭のなかで、マヤルの手紙がぞんざいに積み上げられては、また別のところへあわただしく運ばれていった。
「そうして、ようやく料金ぶんの切手も整い、新旧の切手がハデに並んだマヤルの手紙は、郵趣家にとって大変興味ぶかい郵便資料となり、珍品として大切に取り引きされてきたのです」