夢の歌
  
はじまりの島(5)
………それでね、“ずっと友だちでいて”って、ティモシーがほっぺにキスしてくれた」
 つぶやいてマヤルは頬を押さえ、そのまま、磨きこまれたカウンターに頬杖をついた。
「でも、私は茶色いままだった。おとぎ話みたいに、キスで呪いが解けたらよかったのに」


「なんて……なんて可哀想なの」
 マヤルの隣に座った若い娘が、エプロンで目頭を抑えた。狭い店内では、人々が集まってマヤルを囲んでいる。
「マヤルの歌は、それであんなに切なかったのね」
「彼の髪はハチミツ色、私の肌と同じ……
 だみ声で一節を口ずさんだ年寄りが、声を詰まらせた。
「謁見バルコニーの下で、皆泣いてしまったよ」


「それで、お父さんたちの言うことを聞いて、もうティモシーには会わないつもりなの?」
「こっそり会いに行けばいいじゃないか」
 皆自分のことのように真剣に身を乗り出している。カウンターの奥ではこの店の主人が作業用の平机に覆いかぶさっていたが、彼も仕事を続けながら鼻をすすりあげた。
 ここは小さな仕立て屋で、間口もそう広くはなく、大勢の人間が腰を落ち着けられるような場所もないのだが、初お目見えの謁見を終えて王宮から出てきた【歌い手】マヤルの後について、皆ゾロゾロと店の中まで押しかけてきていた。


「うん、あのね」
 頬杖に寄りかかって首をかしげたマヤルは、まだ金髪に白い肌の姿のままだった。
「結局、ティモシーが引っ越しすることになっちゃったの」
「そんな!」
「あなたたちを会わせないようにって? ひどいわ」
「違う違う。白人から自治を取り戻そうっていう運動が高まってきてて、島もちょっと物騒になってきたから。代理人だけ置いて、しばらく本国に帰るんだって」
 マヤルがスラスラと説明すると、皆深くうなずいた。
「ふむ。はくじんは、島の人には嫌われているわけか」
「その、北部の茶園ってとこでは、マヤルみたいな茶色い人たちが働かされてるわけなのね?」
「そうなんだけど、それも厳密には違うの」
 厳密、などという言い回しが自分の口から飛び出したことに小さく驚きながら、マヤルは続けた。ここでは言葉がなんの苦もなくあふれ出し、思いにぴったりと添って流れていく。


「北部にいる茶色い人たちは、茶園の労働力として、島の外からイギリス人に連れて来られた人たち。昔から島にいた私たちとは、言葉も宗教も違うのよ」
「ほお」
「複雑なのね、マヤルの島は」


 マヤルは頬杖をついたままうつむいた。
「目が覚めているときは、こんなにハッキリ分からなかったわ。引っ越しするのはティモシーのほうになっちゃったって伝えに来てくれたときも、二人で一生懸命相談したのに、白人はマヤルたちにとって支配階級だってことすら、お互いにうまく説明できなかったのよ」
「まあ、ティモシーはちゃんとお別れに来てくれたのね」


「相談って、どうすることにしたの?」
 皆がマヤルを心配そうにのぞきこんだ。
「ティモシーがパパに、マヤルも一緒にロンドンに連れて行ってってお願いしてくれたらしいけど、全然だめだったって。だから、ティモシーがひとりで旅行ができるようになったら、マヤルを迎えに来てくれるって」
「そう」
「きっとすぐよ」
 マヤルは力なくうなずいた。今のマヤルは皆の態度から、この約束の実現が望み薄であることが、うっすら理解できた。


「手紙をちょうだいねって、ティモシーが、切手を貼って住所を書いた封筒をたくさんくれたわ。せめてここのことを色々書いてあげるつもり」
「うんうん」
「きっと喜ぶぞ」
 娘たちの中のひとりが、はっと顔をあげた。
「ねえ、それでティモシーもここの夢を見るようになったら?」
「あ、もしかしたらここでマヤルと会えるかも!」
「わあ、素敵じゃない」
「どうなんだい、ひきがえる?」
 皆くちぐちに言って、隅の丸椅子におさまっているひきがえるを振り返った。
「そういうことってあるだろうかね?」