はじまりの島(4)
「待って、マヤル!」
緑の木立に縁取られた広い道を、半ズボン姿の少年がかけてきた。
「お別れを言いに来たって、何? 引っ越しするの?」
切りそろえた前髪の下で、ブルーグレイの瞳が不安げに揺れている。
「嫌だよ、引っ越しなんてちっともよくないよ。ボクが君のパパに頼んであげる」
「ティモシー」
マヤルは歩みを止めず、怒ったような声でそれだけ言った。
「引っ越しすれば楽しいことばかりだよって皆言うんでしょ? ウソだからね! みーんなウソだから!」
ティモシーが腕をぐるぐる回しながら言うと、金茶の髪がキラキラと光を反射させた。白人にしては綺麗に日焼けした肌に、夏用子供服の白がよく映えている。
「ボクがロンドンから引っ越ししたときもそうだったもん。ボクの宝物はみーんな箱詰めされちゃうし、友だちみーんなと会えなくなっちゃうし……あ、ううん。マヤルが友だちになってくれたから、それはいいんだ」
結論に満足してティモシーは一旦黙り込み、慌てて本題を思い出した。
「マヤルはどこに引っ越しするの?」
ティモシーに顔をのぞきこまれながら、マヤルは立ち止まらずに歩き続けた。木立に沿った道には、時折り白い石の彫像が現れる。歩いても歩いても、まだここは屋敷の敷地内なのだった。
「引っ越しじゃないの」
マヤルがつぶやくと、ティモシーの顔が明るくなった。
「そう、よかった……じゃ、どうして?」
「マヤルね、もう遊べないの。それだけ」
舌足らずな英語で言い捨てて、マヤルは前を向いたままずんずん歩いていく。
「こないだのこと、怒ってるの? 不思議の国のアリスに似てるって……」
ティモシーは自分より頭ひとつ小さいマヤルに必死で追いすがった。仕立てのいい半ズボンの下はマヤルと同じ裸足だ。
「皆は笑ったけど、ボクは本当にあの挿し絵は君に似てるって思うよ! おっきな目で、いつも口がとんがってて、ね」
ティモシーがおどけてみせたが、マヤルはますます口をとがらせた。
「もうマヤル、お屋敷へ来ちゃいけないの。父さんが庭師の仕事を辞めるから」
「そんな……」
足が止まってしまったティモシーを置いて、マヤルは先へ行く。ティモシーもすぐに追いかけた。
「そうだ、勉強してるって言えば! いつも図書室で遊んでるんだし」
「はくじんのがくもんなんか必要ないって言われると思う」
「じゃあ、この島のことを勉強しようよ、一緒に!」
我ながら名案、と、ティモシーは誇らしげに顔を輝かせた。
「北部の茶園の経営をよく見ておけって、いつも言われてるんだ。面倒くさかったけど、マヤルも一緒に茶園に行くなら言うこと聞くって、パパに言ってみる」
しかめっ面で聞きながら、マヤルは何度も首を横に振った。垂らしたままの黒髪がふわふわと広がり、簡素なワンピースの肩口から出た褐色の肌をやわらかくかすめた。
「イギリス人と遊んだりするなって、兄ちゃんや叔父さんたちが言うの」
「え?」
ティモシーは不思議そうにマヤルを見つめた。
「でも、マヤルだってマヤルの家族だって、イギリス人でしょう? みんな英語がしゃべれるし、ここはイギリスなんだから」
マヤルはまたふるふると首を振った。
「違うんだって。これからはしょくみんち支配を打倒するんだって」
「それ、なに? セイロンがイギリスじゃなくなるってこと? ボクもイギリス人じゃなくなるの?」
「分かんない」
お互い困ったように口をつぐんだまま、歩き続ける。
「とにかく、茶色いからダメなの。きっと」
つぶやいたマヤルの表情が、一層のしかめっ面にゆがんだ。
「マヤルも白く生まれたかった」
マヤルの声が涙ににじむと、ティモシーも泣き顔になった。
「白くなくたって、マヤルの色はキレイだよ。あったかくて、すべすべしてて、お日さまのにおいがして」
自分の言っている言葉がどれも、肌の色や見た目を形容するものではないと気づき、ティモシーは足をもつれさせながら追いすがった。
「こんがり焼けたマドレーヌの色だ。大好きなゴールデンシロップの色だ」
もどかしく両腕を振りまわしては言葉を探す。
「大好きだよ。ジンジャービスケットより、ナッツのフラップジャックスより、はちみつケーキより」
マヤルはうつむいて歩き続ける。
「マヤル、ずっと友だちでいて」
並んで歩きながら、ティモシーは身をかがめた。褐色の頬に唇が触れた。
弾かれたように駆け出したマヤルの後ろ姿が、見る見る遠くなる。ティモシーは泣き声で叫んだ。
「どんな白い女の子より、マヤルが好きだよ!」