夢の歌
  
はじまりの島(3)
 膝をしっかりと抱きしめ、スカートに顔をうずめている少女を、ひきがえるは長いあいだ静かに見守っていた。くぐもった泣き声もだんだん小さくなっていく。


「大抵の【歌い手】はまず私に、ここは天国か、自分は死んだのかと尋ねる。あなたは自分の姿が本来のものと全く変わっているのが分かったから、見当がついたのだね。自分は死んだのではなく、夢の世界にいるのだと」


 少女はまだ時折り唇を震わせながら、うつむいたままこくりとうなずいた。
「そうよ。死んだら白人のブロンドに変身するなんて話、聞いたことがないもの」
「はくじんのぶろんど」
 ひきがえるがオウム返しに繰り返す。
「あなたのような女の子のことか?」


 少女は泣きはらした顔をあげた。
「男でも女でも、大人でも子供でも、肌がこんな風に白くて、髪の色が茶色より薄ければ、みんなそうよ。白人のブロンド」
 自分の腕を差し出し、白い肌をじっと見つめる。
「本当の私は違うの。もっと茶色いの。でも、ずっとこんな風になりたかったの。ティモシーが不思議の国のアリスの挿し絵を見せてくれて、私に似てるって言ったら、それは白人のブロンドの女の子のお話だってみんな笑ったの。でも、どうして分かるの? 挿し絵には色がついてないのよ?」
 少女の大きな目にまた涙があふれる。
「そりゃ、お話の舞台はイギリスだけど」
「いぎりす?」


「遠い国の名前よ。遠くて遠くて、行ったことなんて一度もないのに、私が住んでる国も本当はイギリスなんですって」
 ひきがえるはわずかに首をかしげた。
「ふむ、哲学的なのだな」
「哲学じゃなくて、植民地なのよ」
 少女の言葉に、ひきがえるはまた考え込む。
「奴隷にされるのか?」
「そういうんじゃないの。でも実際は同じだって大人は言ってるわ。あれ?」
 少女は首をかしげた。
「どうしてこんなにスラスラ言えるのかしら? いつも父さんが叔父さんたちと議論してるけど、内容なんてチンプンカンプンなのに」


 ひきがえるが言った。
「子供ながら、頭の中では理解していたということだ。あちらの世界のあなたはまだ幼くて、自分の思考を言葉に置き換える能力が身についていないだけなのだろう」
「どうしてここではそれができるの?」
「ここがあなたの夢だからだ。思考がそのまま言葉に変わる。あなたは今、我々の言葉を話しているのだよ」
「へえ……!」
 少女は感じいったようにため息をついた。憂いの色がゆっくりと消えていく。
 ひきがえるは階段から立ち上がった。
「そろそろ行くとしよう。すばらしい歌が聴けそうだ」
 少女もつられて立ち上がり、
「あの、歌って? 歌い手がもう来たの?」
 きょろきょろと見回す。
「いや。先ほどから言っている。【歌い手】はあなただ」
「私が? 歌うの? どこで?」
「皆のまえで」
 ひきがえるはそろりと一段降りて、横目だけで少女を振り返った。
「心配しなくてもいい。あなたにとっては夢の中なのだから、どんな音域だって出せる」
「でも、ウソをついてる子は駄目なんでしょう? 私は今……にせものの私よ」
 ほら、と、エプロンのひだを申し訳なさそうにつまみあげた。
「歌が……その、濁るんでしょう?」
「いや」
 ひきがえるはスタスタと階段を降り始め、少女は慌てて後を追った。
「にせの姿に憧れるあなたの夢や願いを、そのまま歌ってくれればいい。その歌はウソにならないから」


 雲の階段は、地上近いこの場所ではだんだん間隔が大きく、一段が小さくなってきていた。ひきがえるは少女の安全を確認するかのように、一段降りるごとに振り返った。
「ただ、偽名は駄目だ。お望みなら皆に言って、あなたをアリスと呼ぶことにしてもいいが、それが本名でないことははっきりさせておいて欲しい」


 飛び石遊びのようになってきた足元を確かめつつ、バランスを取りながら、少女は顔をあげた。
「マヤルよ。私の名前」
 少女は大きく最後の一段を飛んだ。