夢の歌
  
はじまりの島(2)
「すごいわ!」
 雲の階段を降りながら、少女は何度も声をあげた。
「すごいわ、ひきがえるさん! この下の森にはあなたみたいな動物がいっぱいいるの?」
「いや、こういうナリをしているのは私だけだ」
「ひきがえるさん、お城が見えるわ! 王さまがいるの?」
「これからあなたをお引き合わせする」
「ひきがえるさん、あなたお名前は?」
「空の見張り番を、特定の名で呼ぶことは禁じられている」
 少女は足を止めてひきがえるを振り返った。
「まあ、じゃあお友だちはあなたを何て呼ぶの?」
「ひきがえる、とだけ。これはお役目だから、“お友だち”ではないが」
「ふうん」


「私だったら嫌だな、ニンゲンなんて呼ばれるの」
 よいしょ、とつぶやきながら、少女はまた次の足場へ降り立った。
「では娘さん、あなたのことはなんと呼ぼう?」
 ひきがえるが言うと、少女はにっこり笑った。
「私、アリスよ」
 ひきがえるは少女をちらりと見た。続いて階段を降り、
「その偽名にはなにか意味が?」
 さらりと言ったので、少女は笑顔をこわばらせた。


 ひきがえるは少女の脇をすりぬける。小さく首をかしげると、
「ふむ、あだ名でもなさそうだ」
 先に立って階段を降りていく。
「どうして……そんなこと分かるのよ」
 少女は慌てて後を追った。
「アリスという響きを口にした時のあなたには、あなたらしいところがちっとも感じられなかった」
 ひきがえるは淡々と答える。


「私らしいって何よ、会ったばかりなのに」
「いや、無理強いはしない。言いたくなければ結構」
「だから名前はアリスだったら」
 声を上ずらせた少女をまたちらりと見て、
「ウソはいけない。歌が濁る」
 ひきがえるはどんどん降りていく。


「歌って何よ?」
 少女は走って後を追った。エプロンの蝶々結びがひらひらとなびき、雲の階段をドレスのスソがなでていく。
「私はアリスよ。本当よ。これはアリスよ」
 少女が追いつくと、ひきがえるは段の端に寄って待っていた。
「スカートだってエプロンだって、本の挿し絵の通りなのよ。どこも間違ってないわ」
 少女は握りしめたスカートをばたばたさせてみせたが、ひきがえるは何も言わずじっと見つめ返した。少女は大きく息を吸い込んで口元をゆがめ、雲の階段にぺたりと座り込んだ。
「何よ、だってこれは夢なんだもん。夢の中でくらい、なりたい女の子になって、好きな名前を名乗ったっていいでしょう」
 最後の方は泣き声に変わり、目から大粒の涙が転がり落ちた。


「そう。あなたは最初から、これは夢だと知っていた」
 ひきがえるは少女から一段だけ離れ、そこへ座った。
「なのにわざわざウソの名を言った。子供はよくウソをつくが、夢の中で自分にウソをつく子供は初めてだ」