はじまりの島(1)
どこまでも続く雲の平野を、少女は決然とした足取りで歩いていた。
肩よりも少し長い金髪が風になびき、たっぷりとフレアーを取ったスカートが揺れて、エプロンがひるがえる。黒いバックルシューズが軽やかに雲を踏んだ。
半分透き通ったような白いもやに一歩を踏み出すたび、つま先はふわりと頼りなく飲み込まれてしまったが、雲の中にはなぜか、しっかりとした足がかりが感じられた。
「ひきがえるさん」
少女は目指す場所まで来ると、立ち止まって言った。
雲のかたまりに、一匹のひきがえるが腰掛けている。立ち上がれば背丈は少女の肩あたりまであるだろう。ひだの少ない簡素なマントをはおり、両足を軽く組んで腰掛けるその姿は、まるで風刺新聞の挿し絵だ。
緊張した顔で正面に立ちふさがった少女を、ひきがえるは黙って見つめている。
「あなたは魔法をかけられた王子さま?」
少女はそう言って両手をのばし、ひきがえるの顔を支えながら身をかがめた。ひきがえるはわずかに体をそらしたが、あっと言うまに少女の顔が押し付けられた。
「ちゅ」
小さくついばむような音をさせると、少女は結果を量るように一歩さがって見守った。
「違ったみたい」
がっかりと言ってから、少女は腰に手を当てた。
「そういえば、魔法をかけられた王子さまは普通、全く完全なカエルの姿にさせられるものよね。こんなどっちつかずの中途半端な姿じゃなく」
「そう、中途半端だ」
ひきがえるが穏やかな声で言った。
「我らはけものと人間の境い目に呼ばれた者だからな」
「まあ、おしゃべりできるのね!」
少女は声をあげ、ブルーグレイの瞳をきらめかせた。
「さいしょは出来るかぎり黙っていることにしている。やってくる【歌い手】たちを驚かさないように」
あまり抑揚のない、静かな口調でひきがえるが言うと、少女はぱん、と手を打ち合わせた。
「それで遠くからじっと見てたのね。私はてっきり、助けを待つ王子さまかと思っちゃった」
少女はひきがえるの隣の雲のかたまりに、上機嫌で腰を下ろした。
「歌い手って? ここで、歌の上手な人を待ってるの?」
「【歌い手】とは、あなたのような人のことだ。雲を通って、別の世界からやってくる」
「ここってたくさん人が来るの?」
「そう多くはない」
短いやりとりのあいだも、ひきがえるはうなずいたり、手を上げ下ろしするなどといった、会話らしい所作を見せない。同じ姿勢で座ったまま、彫像のように動かずにいる。
少女は首をかしげてひきがえるの顔を下からのぞき込んだ。さらり、と金髪が流れた。
「ひきがえるさん、私のこと嫌い?」
「いや、なぜ?」
そう答える時もひきがえるは、否定の身振りをしたり、少女と正面から向き合うために座り直したりはしない。ただゆっくりと顔を向けて視線だけは合わせた。
「どうしてそんなに固まっているの?」
ひきがえるは自分にとって当たり前のことを尋ねられたせいか、一瞬答えに詰まってから言った。
「【歌い手】への礼儀だ。この姿を見慣れてもらうまでは、急に身動きなどして腰を抜かされては困るから」
「私、カエルなら平気よ」
少女がにっこりと笑うと、ひきがえるは考えをめぐらすように、目玉をちらと動かした。
「確かに、おびえてはいないようだ。いきなり接吻されたのは私も初めてだが」
少女は、エプロンの端を引っ張りながらくすくすと笑った。
「近くの池にはひきがえるがいっぱいいるの。王子さまが紛れ込んでるかも知れないから、必ずキスして確認するのよ」
ひきがえるはおごそかに雲を踏みしめ、立ち上がった。
「ご期待に添えず申し訳ない、私はただのカエルだ。さて、では」
水かきのある片手をうやうやしく振る。
「下へご案内しよう」