夢の歌
  
夢のおわり(8)
 アリスとトビーは、手をつないで草の上を歩いた。王さまと猫が後に続く。


「夢の中では足がちゃんとあるんだね。起きてるときも、まだあるような感じがしてたけど……やっぱり慣れないよ」
 アリスはトビーの手をしっかりと握った。
「トビー、目が覚めたらママに話してあげて。雲の中を走ったって。ホラ、いつかみたいに」
 トビーは目を丸くしてアリスを見上げた。
「ママに? ボクが、ここの話を? いつ?」
「覚えてないの? バスの中で」
 トビーは首を横に振った。
「後ろの席に私がいて、声をかけたのよ。王さまの結婚の話や、風船の歌や、猫の話をしたの……無理もないか。今よりもっと小さかったものね」
「ふうん」
 トビーは下を向いて考え込むと、つないだ手にもたれかかって、自分の耳を押し付けた。
「ボク、ときどきは下に降りずに、雲のなかからいろんな絵を眺めて遊んだけど……たくさん見たから全部は覚えてないなあ。でもたいむぱらどっくすが出るから、ちゃんと言いつけを守って、見てきた話は誰にもしなかったよ」
「そう……じゃあきっと、あっちで元気だったころに、ママにだけ話してあげていたのね」
「ママ、何て言ってた?」
「んー、あんまり信じてなかったかな? トビーはまだ説明が上手じゃなかったし」


「トビー、アリスはもうママに会えないんですよ」
 猫が言った。
「あっちの世界で一生懸命大人になって、ここのことを上手に説明できるようになってあげてくださいよ。そしてアリスのパパとママに、アリスが別の世界で元気にしてるって教えてあげて」
「うん、わかった」
 トビーはアリスを見上げながら腰に抱きついた。


「でも……猫さん」
 アリスは戸惑った目で猫を追ってから、トビーの巻き毛をくしゃくしゃとなでた。
「ありがとうトビー。でもね、あなたはこれからあっちでいろんな楽しいことを覚えなきゃ。気持ちはありがたいけど多分……
「アリス、トビーならきっと伝えてくれますよ。ぐう、ごろろ」
 トビーは猫の喉をかいてやりながら、アリスを見上げた。
「ボク、できるよ。アリスのみょうじは? 住所は? かいしゃは? 学校、友だち、たくさん聞いておけば、ここのことを忘れても、どれかひとつぐらい覚えておけるよ」
「そうね。ありがとう……きっとそうしてね」
 アリスはありったけの質問に、何度も繰り返し答えた。


「そうだ、“58-A02”。私の通信コードよ。部外者はあまり知らないわ。難しいかな……
「大丈夫、きっと伝えるよ。58A02のアリスは、王さまとけっこんしたんだよって」
「そうよ。パパとママのアリスは“いつまでも幸せに暮らしましたとさ”だから、心配しないでってね」
「あ」
 トビーは激しく首を横に振った。
「違うんだってば、思い出したよ!このあとも大変なじけんが、次から次へね……
 わくわくと目を輝かせた表情は、あっという間にかき消えた。


「トビー!」
 何もない空間に、ぐらりと手を泳がせたアリスを、王さまが抱きとめた。
「何がおこるの? 大変な事件って何? ああ、次に来たとき聞いてみなきゃ」
 不安げなアリスに、王さまは優しいまなざしを返した。
「どうかな。何年かぶりに目覚めて、あちらの世界では見るもの聞くもの、新鮮な刺激ばかりのはずだよ」
「そんな」
「今度は落ち着いて医者の話も聞けるだろうしね。よく眠ったはずだから」


 猫も得々とうなずいている。
「ママさんとも積もる話があるでしょう。足のこともあるし……生身の体を放ったらかして、ふわふわしてるヒマはなさそうですよ」
「夢のなかでもきっと、あっちの世界を歩くのだろう。忙しすぎて、ここの事を忘れるのも早そうだ」
「何なのよ、二人して」
 アリスは諦めたように両手を広げ、はたと猫に向き直った。
「猫さん、あなたは知ってるんでしょう? あなただって私たちみたいに、雲の中を歩けるじゃない。あそこに行って頭の中で望めば、過去や未来を思い浮かべられるでしょう?」
 猫はふるふると首を横に振った。
「見えはしますが……動かない絵はどうも細部の見分けがつかなくて、何のことやら」
「こやつには、絵画を理解する芸術的素養がないんだ」
 王さまが言うと、アリスは
「そうか」
 弾かれたように顔をあげた。
「猫って静止画を認識できないっけ……あそこで見えるのは、時間が止まった映像ばかりなのよね」
 アリスはぐったりとうなだれて頭を抱えた。猫がぐいと胸を張る。
「心配せずともアリス、未来はあらゆる局面で新たに作り直されているんですよ」
 アリスはじろりと目をあげた。
……それ、今たまたま思いついたわね」
「いやいや、名言だよ。侍従たちの受け売りだが」
「なんかカチンと来るわ」
「いたた、ヒゲを引っ張らないでアリス」
 暮れていく王国の空に、ひとつまたひとつと星がかがやきはじめた。



夢のおわり編■おわり
(アリス23歳・国王30歳・トビー10歳・猫…知らん)
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