夢の歌
  
夢のおわり(4)
 男の子の腕に抱えられたハトが、優しい声でクークー鳴いている。
 猫が口を開いた。
「この子は以前からここへやってくるようになったんですけど、ずっと姿が変わらないんです」
「どういうこと? まさか……もう死んでしまってるの?」
 アリスはさっと青ざめたが、猫は首を横に振った。
「違います。死者は夢を送りません。よく分かりませんが……あっちの世界では、人が眠りながらずっと生きているということがあるんじゃないですか?」
 アリスは男の子を見つめた。
「そんな、じゃあ事故か病気で、昏睡状態に」
「目覚めて鏡を見たりできない状態なのでしょう。自分の姿を知らないから、ずっと幼い頃のままなんです」
「そんな……


 猫は難しい顔で鼻をひくつかせた。
「アリス、あなたがあっちでこの子に会ったというなら…きっとまだ長い眠りにつく前の、元気なころのことでしょう。時間を越えた遠い先の絵を見て遊んでいる、過去のこの子がどこかで見ているのじゃないかな?」
 そう言って、猫はあてもなく周囲の空間を見回した。


「じゃあ、そのあとはずっとここで過ごしているの? 一度も目覚めずに?」
 アリスは男の子の前にしゃがみこんで、両肩に手をかけた。
「ダメよ! 目を覚ますのよ! あなたは夢を見てるんだから!」
「アリス、いけない」
「怖がらせないで」
 取り囲む家臣団や侍従がざわめく。猫も慌ててアリスに取り付いた。
「こっちからはどうすることもできないんですよ。夢を覚まさせることも、引き止めたくて夢を長引かせることも」
 アリスは男の子の肩をつかんだまま振り向いた。
「猫さん、あなた何でもわかるんでしょう? 夢の不思議な猫でしょう? 魔法ぐらい使えないの? この子をあっちに戻してあげて!」
 さいごはカン高く叫ぶような声になる。猫は申し訳なさそうにあとずさった。アリスは言葉につまり、ぐいと男の子に向き直った。
「ボク、あなたもこっちで歌を歌うんでしょう? あっちでも歌うのよ、うんと大きな声を出して誰かを呼んで! いい?」
「うん……わかった」
 アリスの剣幕に押されながら、男の子はこくりと首を振った。
「そうだ、サッカーチームに入ってるんじゃなかったっけ? チームのみんなのことを思い出して。こっちへ来るときみたいに、あっちの世界の記憶をたぐって戻るのよ!」
 アリスは男の子の大きな目をのぞきこみ、励ますようにうなずいた。
「私、アリスよ。あなたは? あ……あ!」
 とつぜん両手が空をつかみ、アリスはしゃがんだまま床に手をついた。驚いたハトが短くはばたき、ぽてんと床に降り立った。


「消えた! じゃあ」
 アリスは声をうわずらせた。
「目覚めたのね? よかった!」
 しかし周りの誰も、表情が変わらない。
「うん、そうかも知れないのだけどね」
「でも、今までも何度かあったから」
「そうなの?」
 アリスを助け起こす王さまも、侍従も家臣もどこかアリスをなぐさめようとしている。
「ああ、だが次にやってきたときも、やっぱり幼い姿だった」
「聞いてみましたが、ただ夢も見ないで眠っているだけだったようです」
「どうして皆そんなに……悲観的なの?」
 アリスは王さまに手を取られたまま、皆を見回した。


「私たちは……こういうことに慣れすぎているんだよ」
 沈んだ声で王さまが言うと、皆も静かにうなずいた。
「言ったでしょう? 【歌い手】は、歌のほかに何も残さない」
「異国からのお客さんとは、ある日突然断ち切られるような別ればかりなんだ。いつも」


「あの子の夢が現れなくなっても、それが病気が治ったからなのか、……そうではないのかは、私たちには永遠に分からないのだよ」
「そんな」
 アリスは皆が言おうとしていることの意味を飲みこみ、男の子が消えたあたりを呆然と見つめた。
「なんて悲しい国なの。こんな国、いたくない……帰りたい」
「アリス」
 アリスはもう取り消せない自分の言葉に青ざめ、くるりと背中を見せて駆け出した。
「アリス!」