夢の歌
  
番外編 ニアネス・オブ・ユー(3)
「なあに?」
 マユミはブラウスの繊細なドレープを落ち着きなく引っ張った。一歩離れた場所から、トビーがマユミの姿を見つめている。


「いや、君が小柄でよかったと思って」
 トビーはジャケットを後ろへめくり、ズボンのポケットに手を突っ込んだ。
「火星は今ちょっとモメてるんだ。今度の開拓計画は企業主導で、現在の火星定住クルーとのあいだに対立が起きてる」


 マユミはトビーに向き直った。
「対人用火器の持ち込みをめぐって? 火星は持ち込みを許可したものだとばっかり思ってた」
「表向きはね。しかし先走って計画を発表した開拓団がわが苦し紛れにそう言っているだけで、議論はまったくの平行線らしい。どちらも譲らなくて」
 マユミは軽く腕を組んでうなずいた。
「企業にとってはビジネスですもんね。輸送船には採掘した高価な鉱物資源やガス燃料を乗せるんだし、警備を固めたくなるのが人情よねえ」


 トビーは肩をすくめる。
「積荷を守るための、宇宙航行中の武装は仕方ないが、乗員がそれを携帯したまま惑星内をウロウロするのが、定住クルーとしては許せないらしい。彼らはロケット時代の宇宙飛行士たちだから」
 マユミはなるほど、と相づちを打った。
「宇宙エレベーター以前の惑星開拓は、敵も味方もなく全人類の代表として、平和的に進めてきた事業だったんだものね。拒否反応も当然か。じゃあ計画はこのまま頓挫してしまうの?」


「いや、きっとごり押しで出発することになるよ。宇宙船の建造自体は順調に進んでいるから」
 トビーはなんとなく背後を見上げた。建造ドックが見えるわけではなかったが、位置関係としては後方になる。この展望リングを通過して、宇宙エレベーターを最遠部まで上がったさらに先の宇宙空間に、独立したステーションが浮かんでおり、船や衛星、電波アンテナなどさまざまな宇宙環境設備を建造する、無重力ドックがあるはずだった。


 マユミも半身をひねって同じ方向を仰いだ。
「力も入っているでしょうね。宇宙エレベーターから送り出される、初めての有人船だもの」


 トビーは背後の壁の一点を、気がかりな表情で見つめた。
「華々しく出発だけはしても、このまま調整がつかなければ、火星に到着しても開拓団には着陸許可が下りない。火星周辺のステーションに足止めだ。目的の鉱山採掘さえ始めらずに、帰還もいつになるやら」
 ぶるる、と首を振り、マユミに視線を戻したが、
「そのへんもじかに取材したかったわ、ああ」
 マユミは大きくため息をついた。
「せっかく、特別な訓練を受けた宇宙飛行士でなくても宇宙に行ける時代になったのに。身長でハネられるなんて」


 トビーはなだめるような口調で、
「長期航行だからね。あまり乗員の体格にバラつきがありすぎると、気密服や特殊装備を各サイズ準備しなければならなくなって、積荷の管理が煩雑になる」
「んー」
 マユミはふてくされながら、上機嫌なトビーをチラリと見上げた。
「でも短期航行ミッションならそんなに細かい体格基準はないし、地球周回軌道上の研究施設とか、月の裏天文台とか、取材先はいろいろあるさ」


 マユミはいきなりトビーの正面へ、ぽんとひと足ぶん踏み出した。
「近場だから、すぐに帰って来られるしね」
 つま先がくっつくほどの近さでまっすぐ見上げると、トビーの片足で一瞬、かすかなモーター音がささやく。
「そう、それは重要だ」
 トビーは胸のすぐ前で笑っているマユミの体に両手を回した。