番外編 ニアネス・オブ・ユー(2)
人目を引かない程度の穏やかなキスを交わし、マユミは照れくさそうに視線を地球へと移した。
「緊急システムが作動した原因は何かしら? 浮島の周辺に、本当にテロリストの侵入があったと思う?」
わざわざエレベーターの復旧見込みを問い合わせに行ってもらった手前もあり、マユミはさも興味ありげに地球の眺望に見入った。窓に映る髪のハネを気にしたマユミが、地球を見つめながらうわの空の返事を繰り返したのを、トビーがすっかり取り違えただけなのだが。
トビーは心配ない、というように軽く頭を振った。
「そんな兆候はここのところなかったし、きっと航行禁止区域の海中センサーに、魚か何かが引っかかったんだろう。魚よけの音波ネットもくぐり抜けてしまうような、ニブいやつかな」
「そう」
マユミはウィンドウのつるりとした表面を見つめた。
暗い宇宙空間の眺望を邪魔しないよう、回廊の照明はかなり抑えてあったが、煌々と輝く地球光を浴びて立っている自分たちの姿は、目の前のガラスにうっすらと映りこんでいる。
「もしエレベーターが攻撃されたら、塔が崩れるみたいに私たち、地球に落ちてしまうの?」
マユミの言葉に、ガラスに映ったトビーが、ちょっと首をかしげた。
「いや、そういう時は基底部に近いケーブルを破壊して、地球へ“落ちる”よりも、宇宙の彼方へ“飛ばされる”ようになっているよ。これだけ巨大なものが崩れながら落下したら、隕石が衝突するより地球に与えるダメージは大きいからね」
「ふうん」
トビーは少し向き直ってマユミを見つめた。
「避難ドリルは覚えてるね? 緊急のときは宇宙空間への離脱ルートが赤く光るから、それに従って一番近い救命ボートへ……」
「頭に叩き込みました、ご心配なく」
マユミが答えると、トビーは眉をしかめて首を振った。
「君のことは心配でしょうがないんだ。いつふわふわ飛んで行ってしまうかと、いつも」
「危ないことはしないわよ」
「火星開拓団に同行取材したいとか言ってたし」
「選考段階ではずされました。満足?」
マユミがつんと頭をそらせる。
「まさか。君を落とすなんて、見る目のない奴らだ」
「身体基準に達してなかっただけよ」
「僕の基準では君は最高ランクだけど」
「バカ」
マユミは小さく飛び上がった。
「怒った?」
トビーが身をかがめてのぞきこむ。
「いいえ」
「じゃ、キスしていい?」
「……ちょっと考えさせて」
マユミは顔を上向けたまま言った。
トビーの笑顔が、あとひと呼吸ほどの距離で固まっている。
「ホラ、せっかくお伺いを立ててくれたわけだから」
小さく首をかしげ、とぼけたように見つめ返してみせる。
「焦らされるのも好きだ」
トビーは鼻でマユミの頬をかすめ、おかしそうに一歩離れた。