夢の歌
  
番外編 ニアネス・オブ・ユー(1)
「あ、なんだ」
 マユミは眺望用ウィンドウにはりつき、暗いガラスに映る自分の顔をのぞきこんでいた。


「後ろの、アレかあ」
 さっきから気になっていた髪のハネは、目の錯覚にすぎなかったようだ。数歩動くと、サイドから飛び出しているように見えた髪のひと房は、背後の壁の陰影だと分かった。
「何度なでつけてもますます飛び出して来るように見えるんだもの、ちょっと焦ったじゃないの」
 ぶつぶつと言いながら、ついでに胸元やパンツのシルエットをチェックする。


 場所がらのせいでスカートがはけなかったのは残念だが、今日は仕事用のそっけないパンツスーツとは違う、かなりのデート服にしたつもりだ。
(わかったわかった、師匠セクシー)
 友人のニナが言いそうなコメントが頭の中に響き、マユミは思わず吹き出しかけたが、視界の端にトビーの姿をとらえると、すました顔で振り返った。


「お待たせ」
 トビーはポケットに両手を突っ込み、暗い通路をゆったりと歩いて来る。
「下りエレベーターの作動許可が下りるまで、もう少しかかるそうだ」
「そう」


 二人は観光用展望室の長い回廊に、並んで立った。
 リング状の展望回廊は、宇宙エレベーターのシャフトを主軸として回転しながら、遠心力で偽の重力を作り出している。
 展望室から出て、シャフト中心部に近いリニアシャトル乗り込み口に入ると、体はふわりと浮かび、ガイド手すりにつかまって移動することになるが、ここではしっかりと床を踏むことができた。


「地上でエレベーターの周辺海域が侵されると、またたくまに緊急システムが働くのね」
 マユミは眺望窓に向き直った。
 目の前の壁面は床から天井まで、全面が眺望窓になっていて、ゆるやかに雲をたなびかせた地球球面が望める。


 トビーがクスリと笑った。
「おかげでリニアシャトルの発着スケジュールは、マスコミから“世界で最も信用できない数字”とのお墨付きをいただいてしまった」
 マユミが顔を上げ、いたずらっぽく微笑む。
「初めにそう書いたのは私じゃないわよ」
「でも、君もその言い回しは記事の中で何度も使ったよね」
「だって、みんな普通に使ってる言い回しよ」


 トビーは両手をポケットに突っ込んだまま、首をかしげた。
「みんなって誰?」
 高い位置からマユミを見下ろす角度になる。


「え? だってマスコミ以外でも慣用句的に」
「みんながそうならいいのかい」
「そんな風に言ってないでしょう」
 マユミが強い口調で見上げ、トビーは言葉に詰まって首を振った。
「違うんだ、こんな話をしたいんじゃなくて……ごめん」
「何に謝ってるの?」


 トビーはマユミを見つめたままひと呼吸おき、
「リニアシャトルの時刻表が当てにならないのは、本当のことだ。君の記事はウソじゃない」
 身構えていたマユミは、決まり悪そうに肩の力を抜いた。
……安全のためだもの、当然よ。記事にはそこもちゃんと書くようにする」
 マユミの声に柔らかさが戻り、トビーはマユミの肩を引き寄せた。
「もう問題ない?」
「ええ」
「キスしていい?」
 マユミはぱちぱちと目をしばたたかせた。
「いいけど……そんな、聞かなくたって」
「いちいちお伺いを立てるのが好きなんだ」


 展望回廊には他にもチラホラと、同じように足止めを食った乗客や技術者たちがいる。壁面に沿ってウィンドウがずっと続いており、皆それぞれに眺望に見入っているようだ。


 マユミが周囲を気にしているあいだに、からかうような笑顔がすでに鼻先に迫っていた。