夢の歌
  
迷いのともしび(9)
 オレンジ色の夕日が射し、ほこりっぽいポーチの床の上に、長く影を伸ばした。
 寝椅子の形をした影のかたまりの上で、覆いかぶさっていた影が、わずかに身動きした。


「除隊してください」
 ウィリアムの胸に体重をかけないように身を起こしながら、サスキアがささやいた。
「それも、いいかも知れません」
 ウィリアムはサスキアの腰を抱く手をゆるめた。
「でも今は」
 赤く染まった空をにらむ。
「自分が逃げずにいることで、戦争を早く終わらせることができるんじゃないかと思えています。たとえ …… 僕の力では足りなくても」
 上体をひねって、サスキアもウィリアムの視線をたどった。その先には、エル・アラメインでの大敗北に混乱を喫してはいるものの、まだ兵力を保ったドイツ装甲師団が集結しているはずだった。
 まぶしさに目を細めながら、サスキアはつぶやいた。
「“私の力は限られている。ならば持てる力のすべてを尽くし、ただ仕えよう……”」
 何に? サスキアはそこで言葉に詰まったまま黙り込んだ。
「誰かの詩?」
 ウィリアムがたずねる。
「いえ……オペラの歌詞だったかしら」
「歌詞ですか。専門書か何かを調べれば分かるかな」
「大きな図書館か楽譜店に行かないと……当分ムリですね」
 サスキアは小さく首を振った。ウィリアムはじっとサスキアを見つめた。
「何をしたいですか? これが」
 ウィリアムは頭をぐるりとめぐらせてあたりを示した。
「全部終わったら」
「故郷に……
 サスキアは言いかけたが、そこにもし懐かしい家族の姿がなかったらと思うと、後が続かなかった。
 言葉を失ったまま、サスキアはまた西の空を振り返った。砂に煙った地平に、太陽があっさり落ちていこうとしていた。
「旅をしたいですわ。戦時じゃなくなった世界を、あちこち見たい」
 そのまま西の空を見つめている。ウィリアムは、
「お供させてください」
 カーキの制服の背中に向かってつぶやいた。
 ゆっくりとウィリアムに向き直り、サスキアがこくりとうなずくと、小さく結った髷から遮られていた西日がこぼれ、後光のようにきらめいて、ウィリアムの目を射た。



迷いのともしび編■おわり