夢の歌
  
迷いのともしび(5)
「とてもお元気そうだ」
 ウィリアムは、挨拶ではなく、賛辞のように言った。
「はい」
 サスキアも嬉しげに頬を染めた。
「おかげさまで。あなたは……
 そこで言葉につまる。
「まあ、見たようなありさまです」
 ウィリアムは片手をざっと振って、包帯だらけの自分の体を示した。
 サスキアはいたわるように首を振った。
「エル・アラメインは激戦でしたのね」
「と、いう話ですな」
 ウィリアムは軽い調子で受けた。
「僕の怪我は戦闘とは関係ない、移動中の車輌事故ですから」
「そうですの」
「本当の英雄たちは、奥の病室でまだうなっていますよ」
 ウィリアムはがらんとしたポーチを示した。
「ひと足先に回復期に入ったもので、僕はこうやって毎日ポーチに干される始末です。まったく、英国の看護士というのは“新鮮な空気”の信奉者ですよ」
 本当は、英雄だらけの病室がいたたまれず、ウィリアムが自分から頼んで、ひとりになれるこの場所へ、寝椅子を回してもらっている。
「きっと、治りも早いですわ」
 サスキアは素直に同情しているようだった。ウィリアムは卑屈な言い訳を恥じた。
「しなくてもよかった怪我です。早いとこ治して、医療品を他へまわさねば」
「そんな」
 サスキアはガタつく椅子の上で、居心地悪そうに座りなおした。
「長い道中はどうもヒマで、部下にムリヤリ運転を替わらせましてね。トラックの運転なんか、任せておけばよかったんですが」
 捨てばちな口調に、どこかとげが混じる。
「砂漠の狐を敗走させて、これだけ派手な怪我をしたら、勲章ものの功績だったでしょうな」
 ウィリアムが笑うようにフウッと息をついたので、サスキアは慌てて椅子から身を乗り出した。
「あの、ラシュブルック大尉からお聞きしました。ご家族のこと……
「ああ」
「お気の毒に」
「どうも」
 ウィリアムはからりと晴れた空に視線をあげ、ふと思い出して口元だけで笑った。
「僕はあのとき一瞬、あなたをロンドンの、うちの家族のもとに送ろうかと考えたんですよ。親戚を頼るのも気が進まなそうだったから」
……そうでしたの」
「よかった。そんなことをしなくて。あれからふた月もしないうちに、ロンドンへの空襲が始まったのだから」
 なにも言えず、黙り込んでいるサスキアに向かって、ウィリアムは軽くうなずいてみせた。
「入隊したほうが、よほど安全でしたね。リチャードは正しかった」
 サスキアは一瞬ウィリアムを見つめたが、ゆるゆると首を振った。
「私、安全な場所を求めて軍隊に志願したんじゃありませんわ。私も軍属ですから、敵にとっては攻撃対象です」
 ウィリアムはサスキアの真剣な表情から、ふいと視線をはずした。
「ふむ。すっかり軍隊式の考え方をされるようになった」
 サスキアもうつむいた。ひざ掛けの粗い布目をなんとなく目でたどる。
「合っているのかも知れません。どなたかには、“似合わない”と言われましたけど」
「そんなことも言いましたね。なんだか……つい昨日のことのようだ」
 ウィリアムは鋭く息を吐き、遠くの埃っぽい建物をひたすら見つめた。
※特に頭に入れる必要はありません。流れのまとめとして。
1940
 5月:オランダ・ベルギーへドイツ軍が侵攻
 5〜6月:大陸の英仏軍、北仏ダンケルク港から英国へ脱出
 6/14:ドイツ軍パリ入城
 8〜10月:英本土への空襲
1942
 11月:北アフリカ エル・アラメインから枢軸軍が撤退