夢の歌
  
迷いのともしび(2)
「さっきの」
 リチャードが頭を振って、背後を指し示した。
「可愛い子だな、友だちか?」
 ようやく合流して、ウィリアムとリチャードは人ごみを歩き出していた。
「いや、知らない人だ」
 ウィリアムの横顔を、リチャードはニヤリとして眺めた。
「声をかけたのか。お前もスミに置けないな」
「そんなんじゃないさ」
 ウィリアムはむっつりと歩き続けた。
「お互い階級も上がったことだし、この再編成のあいだに婚約ぐらいしておくのもいいかもなあ」
 リチャードはそう言って、まだ名残り惜しそうに後ろを振り返っていたが、ふと眉をあげた。
「あれ、彼女追いかけて来るぞ」


「あの、将校さん」
 足をとめて待っていたウィリアムとリチャードに、サスキアは真剣な表情で呼びかけた。
「私にも何かできないでしょうか」
「何かって?」
 ウィリアムがオウム返しにたずねる。
 サスキアは勢い込んで続けた。
「私も、軍隊で働けないでしょうか。私、母がこちらの生まれですから、半分はイギリス人です」
「そうは言っても……
 ウィリアムが言いよどむと、横からリチャードが声をかけた。
「お嬢さん、外国語にご堪能なら、軍隊では重宝がられますよ」
 サスキアは表情を緊張させ、姿勢を正した。
「はい、留学中もフランス語には不自由しませんでしたし、ドイツやイタリアの歌曲も学びましたから、かなり分かります」
「素晴らしい。英語もとてもきれいに話されるし、きっと歓迎されますよ」
 リチャードは胸ポケットからペンを出し、軍服のあちこちを探った。ウィリアムが握っている新聞に目を止めると、
「いいか?」
 と言って、答えも待たずに抜き取った。
「陸軍も補助部隊があって、女性の志願者を受け付けています。私でよければいつでも力になりますから」
 愛想良く言いながら、記事の余白にサラサラと自分の名前と階級を書きつける。
 くるりと紙面を回して、リチャードが新聞を差し出すと、
「ありがとうございます。ええと」
 サスキアは新聞を受け取りながら、書かれた文字を読んだ。
「ラシュブルック大尉。サスキア・オスターデです」
 リチャードはさっと片手を差し出した。
「幸運を祈りますよ、ミス・オスターデ」
 リチャードと握手を交わしたサスキアは、機械的にウィリアムにも手を差し出した。
「ウィリアム・ブロアです」
「お話できてよかった」
 にっこりとサスキアが答え、握手の手が離れた。
 ウィリアムは、ゆらりと一歩踏み出した。
「やめたほうがいい、ミス・オスターデ」
 せき立てられるように言った。
「入隊しなくたって、やれることはたくさんあるはずだ。工場や病院や」
 サスキアはとまどった顔でウィリアムを見ている。
「だけど私も、ドイツ兵を追い払うために何かしたいんです」
「だからって、なにも」
 ウィリアムはあとが続かず、サスキアを見つめた。サスキアの深い色の瞳が、ウィリアムを見つめ返す。
 サスキアが言った。
「あなただって、大切な人を守るために戦っているのでしょう?ご家族は?」
「弟と、両親が」
 まっすぐな視線に気おされ、ウィリアムはつい素直に答えていた。サスキアが大いに納得した顔でうなずく。
「弟さんだって、きっとお兄さんのように戦いたいはずよ」
「ティモシーはまだ十歳ですよ」
 ウィリアムは憮然として言った。分かったような顔をされ、意味もなくいらだちを感じていた。
「お母さんの親戚のところに身をお寄せなさい。あなたのような人にできることなど何もな……
 あまりに相手を侮辱した言い方だと、ウィリアムは後悔したが、すでに遅かった。
「私にだって、何かできるはずですわ」
 こわばった表情で、サスキアが見つめている。
「ええ、もちろんです。その、軍隊などあなたには似合わないという意味で」
 ウィリアムはしどろもどろに言葉を探した。