夢の歌
  
記憶のこだま(2)
 マユミはパーティ会場の端で、長いあいだじりじりと待っていた。目当ての取材相手は、入れかわり立ちかわり挨拶をしにくる寄付客の応対で忙しい。ようやく人の往来が途切れた。
「あの、博士」
 小走りに駆け寄って背中に声をかける。
「素晴らしいスピーチでした。サクルトン博士」
「ありがとう、ええと……ミフネ、さん」
「ミハラ、です」
 マユミが胸のプレス証を示し、名前の欄を指さすと、相手は恐縮して片手をあげた。
「おっと、すみません。さっき一度うかがったのに、失礼」
「いいえ。私のフルネームをどこで区切るのか、ちゃんと聞き取ってくださったんですね。英語圏のかたでは珍しいですわ」
「フルネームは発音も難しそうですね。母音が入り組んだ複雑なリズムだ……マイュミ・ミハラ嬢」
 トビーは苦労して読み上げてから、降参といった顔で笑った。


「あのう、ミフネって昔の映画の? オールドムービーがお好きなんですか?」
 マユミがたずねると、
「ええ。ミフネは大好きで、日本名と言うとつい」
「トビーは色のない映画が好きなんですよ。色がついていて美しいのは宇宙から見た地球だけだと言ってね」
 かたわらで、車椅子の老人が言った。


「あ、ミハラさん。こちらは……
 トビーが言いかけると、老人がゆったりと手を差し出し、マユミはさっと握手に応じた。
「サー・コンラッド。お顔はTIMEの表紙で存じ上げていますわ。マユミ・ミハラと申します」
「燕尾服すがたのあれですか。照れますな」
 老人はまっすぐな笑顔を向け、自信にあふれた握手を返した。
「素晴らしいサクセスストーリーですわ。スーパーのチェーン店の社長さんがナイトの叙勲を受けるなんて」
「さいきんのイギリス王室は、ボランティアや慈善活動のほうを評価するようになっていますからな」
 マユミはこくりとうなずいた。
「わが社の雑誌でも以前特集を組ませていただきました。ビジネス誌のほうですが」
「あなたがいるのは科学部門なのだね、トビーの取材に来られたということは」
「はい」
 老人はトビーを誇らしげに見上げた。
「私が勲章をもらえるほどの慈善活動家にさせられたのも、もとはと言えばこのトビーのせいなのですよ」


 トビーは老人のまなざしを照れくさそうに受け止めた。
「子供の頃、どうにも訓練がうまく行かなくて、ある日リハビリセンターから脱走したんですがね。バスや電車を乗り継いで、気がついたらサー・コンラッドの自宅まえにいたんです」
(トビー37歳 マユミ25歳 パパ79歳)