雲の果て(7)
「ジャックはもう寝ちゃった? そう」
マユミは手の中のカードに向かって笑いかけた。目じりのシワがほがらかに表情を彩る。
「孫が泊まりに来るから、早く帰らせてって言ったんだけど」
カード型通話端末の指向性スピーカーが、マユミの耳にだけ届く何かをしゃべり、マユミはくすくすと笑った。
「なんとか諦めてもらって、お引き取り願うわ。いくら何でも、宇宙エレベーターが異星につながってるなんて主張を、財団が真面目に取り上げるわけに行かないものね」
マユミは話しながら、目の前の大きなウィンドウに目をやった。夜の影に入った地球球面の向こうから、太陽の火球がのぞいている。強烈な太陽光線にさらされた展望室は窓の明度をかなり落としていて、地上の闇に浮かぶ都市の明かりは、大きな目立つものしか見分けられなくなっていたが、電話の相手は半球面の中心にいると、マユミには分かっていた。
「ううん、てっぺんまでは行ってないわ。展望室までだけど、それでも一往復半もさせられちゃった。ESP技能開発事業団にだって研究施設使用の許可を出したんだから、自分達の話も聞けってしつこいの。ああいうオカルト好きの人って、超能力モノにはライバル意識を持つのかしらね」
やれやれ、と頭を振ると、ほっそりとした首筋をかすめて、小づくりなボブヘアが揺れる。
「あと一回下りシャトルに付き合って、それで帰るから。うん。一応公正な審査はしないと。小規模研究だからって差別しないのが財団のモットーですもんね」
マユミがカードに向かって微笑むと、
ちりりりりん
控えめなベルが鳴り、フロア全体の床がパッパッと明滅した。
「あ、乗り込み時間だわ。じゃあね」
マユミはカードにもう一度柔らかいまなざしを落とし、
「私もよ。それじゃ」
うなずいて、きびきびと展望室の出口に向かった。
「さあ、お二人さん。これが最後のチャンスよ」
マユミが両手を腰に手をあてて宣言すると、シャトル乗り込みホールの端で、やけに背の高い中年の男が二人、びくりと身をすくめた。さっさと先へ行くマユミをあたふたと追いかける。
「そんなこと言わないでくださいよ。結構有名な話で、たくさんの人の話題にのぼってるんですよ」
すがるように言いながらリニアシャトルの乗り込み口をくぐると、ふわりと体が浮く。男たちは慌てて自走式のガイド手すりをつかんだ。
「それだって、単なるウワサ話でしょう? たくさんって、どれくらいなの」
手すりにつかまって滑るように移動しながら、マユミは話を続けた。
「そりゃあもう、マニアの集まるサイトではかなり人気のあるトピックで」
少し若いほうが得意げに答え、長い足で空を蹴った。
マユミはちらりと振り返った。
「話題にしてる人の数じゃないわよ。目撃者の実数は?」
同じ高さの手すりにすがってふわふわ浮いている今は、後ろのノッポ男たちとも目の高さの差がなくなっている。
「ええと」
二人は口ごもり、顔を見合わせた。
「百人? 五十人?」
「いや、そんなには」
「二〜三十?」
「もう少し」
男たちは揃って手のひらを下に向け、低め、というしぐさをしてみせた。
「十人?」
「えーと」
彼らの片手はまだ低めのサインを保っている。
「は、二〜三人なの?」
「まあ、数はその程度かと」
「まったく」
マユミは頭を抱えたが、はたと顔を上げた。
「まさかその中に、あなたがた二人が入ってるの?」
「ええ、まあ」
「ああ」
座席を探し当てると、マユミはがっくりとシートに体を収めた。
「孫との夕食をすっぽかしたのに」
片手でカード型端末を操作し、ジャックの写真を呼び出してめくっていると、後に続いた二人が、上から画面をのぞきこんだ。
「え、お孫さんはこんなに大きいんですか?」
「うわあ、とてもそんなお年には見えませんよ」
マユミは端末画面を胸に引き寄せ、じろりと睨み付けた。
「おだてたりしないで。財団の審査は買収を受け付けません」
「いえ、そんな……」
二人がびくりと身を固くしたので、マユミはため息をついた。
「冗談よ」
「ああ」
男たちはホッと緊張を解き、
「あのう、お世辞じゃなく」
「ホントにお若いです」
おずおずと付け足した。
「皆さんそうおっしゃるわ」
マユミは軽口と分かる真面目な口調で返したが、二人は深刻な様子でうなずいた。
「そんなに頻繁なんですか」
「は?」
「買収が」
「ちょ……オッケー、やるじゃない」
鋭利な皮肉に不意をつかれたが、マユミは体勢を立て直してニヤリと笑ってみせた。
しかし当人たちは特に他意を込めたつもりはなかったようで、きょとんとしている。
エレベーター途中駅にあたる、ここ“観光用展望室”から乗り込んだ乗客はマユミたちだけで、すぐにベルト装着のサインが点灯した。