夢の歌
  
雲の果て(16)
「マヤルそれ、どういうこと……
 ジャックの声がかすれて途切れる。
 マヤルは両手に顔をうずめ、雲の平原がしんと静まり返った。


「泣か、泣かないで、マヤル」
 熊がオロオロと駆け寄った。しかし、顔を上げたマヤルの目は乾いたままだった。
「泣いてないわ、泣かないって決めたの。泣いたらこれが悲しい夢になってしまう。そうしたらもう境い目の空に来られなくなってしまう」
「ねえ、ティモシーが死んじゃったって、どういうことなの、マヤル?」


 マヤルは強く両手を握りしめた。
「ロンドンのティモシーのおうちに、爆弾が落ちたのよ。世界じゅうで戦争だって言ったでしょう」
 ジャックも熊も、小さく息を漏らしただけで何も言えない。マヤルは目を伏せた。
「ティモシーのパパもママも、住み込みの使用人までみんな亡くなったのですって」


 マヤルは淡々と続けた。
「夢の中でなら分かるのよ。ティモシーからもう返事は来ない。でも目が覚めている時の私は、どうしても理解できないの」
「だって、ロンドンのおうちだって、セイロンのお屋敷みたいにきっと大きくて頑丈なはずよ。そんなものが、中に人がいるのに崩れてしまうなんて、そんなこと本当にあるのかしら?」
「大人たちに聞いても、かわいそうにって言うばっかりで、あんまり詳しく教えてくれないわ」
「ピンと来なくて結局、あっちでは私は今までどおり、新しい夢を見るたび手紙を書いてしまうの」


「じゃあ、本は……ティモシーが書いたんじゃないんだ」
 ジャックがつぶやいた。
「そう、誰かが私の手紙を読んだのかもね」
「親戚かな? デヴィッド・マロリーって人」
「さあ」
 二人ともいつの間にか声をひそめて話していた。なぜかそういう決まりのような気がするのだった。


「だから、ティモシーに会えるとしたらここだけなのよ。まだ爆弾が落ちる前の、ロンドンに移ったばかりの頃のティモシーが、私の手紙を読んで夢を見ていれば……そうすれば、ここでティモシーに、“今すぐロンドンを離れて”って、伝えられるかも知れないわ」
 マヤルは広大な雲の平原を、挑戦するように見渡した。
「夢から覚めたあとも、ティモシーがそれを覚えていられるように、何度も言わなきゃ。何度も」


「ねえ、マヤル」
 ジャックはふらりと一歩踏み出した。
「それって、それって駄目だよ。過去を変えることになっちゃう」


「そうなのよ、ジャック」
 マヤルは深いため息とともにつぶやき、懇願するような手つきで両手を差し出した。
「私がしたいのはまさにそれなの。ねえ、過去を変えることは本当に不可能なの?」