夢の歌
  
雲の果て(14)
「ティモシーが、これから、来る……
 マヤルは、熊にがくがくと揺さぶられながらつぶやいた。
「そう! だってあっちとこっちの時間は連動していないから、【歌い手】はいつこっちへ来ても、王国のどの時代でも選んで降りることができるんだもの」


 熊は鼻をふくらませながらまくしたてる。
「いままでティモシーがどの時代にも現れていないからって、これからもそうだとは限らない。今日の夢で、ひょっこりむささび時代に来ているかも知れないよ。マヤルの教えたとおりにね」
「今日の夢……?」
「そう。あっちの世界の、マヤルの今日ね」
 熊は勢いよくうなずいたが、隣で考え込んでいたジャックが顔を上げた。
「ダメだよ。タイムパラドックスが起きてしまう」


 熊はむっとしてジャックを振り返った。
「どうしてさ? 怪獣の話なんか、今してないじゃんか」
「怪獣たいむぱらどっくすのことじゃないよ」
 イライラと話がかみ合っていない様子の二人に、
「怪獣? なあに?」
 マヤルがたずねる。熊は、
「時間を軽々しく扱うと、たいむぱらどっくすが起きるの」
 大げさに声をひそめてみせた。
「怪獣が、深い眠りから目覚めるんだよ」
 神妙な表情で鼻を振る。


 熊の背後から、ジャックがマヤルのほうへ顔を出した。
「ややこしいんだ。時間概念に関する命題が、なぜかこっちでは歌い手の子供を脅かすおとぎ話でね……ああ、もう」


 ジャックはぐいと頭のフードをはずし、一歩さがって、熊とマヤルをかわるがわる見た。
「このままマヤルがボクらと別れて、過去の王国のどこかに、たとえばむささび時代に降りたとするよね」
「そう。そこでティモシーを待つんだよ。絶対会えるって」
 熊は自信たっぷりだが、ジャックは首を振った。
「ダメダメ。だって、そうしたらマヤルへの伝言は、むささびさんによって当然解消されるよね」
「うん。本人に伝えられたら、伝言の役目は終わるもの」
「そうしたら、ここでマヤルに会って伝言を伝えたっていう、ボクらの今日の体験はどうなるの? ボクは夢の中のことだから、そう疑問にも思わずに忘れてしまうだろうけど、君は?」
「う、ええっと……


 ジャックは一語一語、熊が理解したのを確認しながら話し続けた。
「マヤルが来てないからこそ残ってた伝言だよね。それを聞いたマヤルが過去に戻る……すると、マヤルが降り立った過去の時点で伝言は解消されるから、この時代のボクたちが『ハチミツ色のマヤルへの伝言』なんてものを、知るはずがない。じゃあそもそも、マヤルに伝言を渡して過去に戻るよう勧めたのは、いったい誰?」
 熊は指で空中を指差しながら考え込んだ。
「あ、あれ……?」
「ね。空の見張り番の大事な口承に、食い違いが起きるんだ」


 ジャックは今度はマヤルに向き直った。
「多分だけどマヤル、君はもうこれ以上過去へは戻れないよ。たとえむささび時代以降一度も雲から降りていなくても」
「どうして? どうして?」
 すっかりうろたえた熊が割って入った。
「だって【歌い手】は、自分がすでに降り立った過去でない限り、自由に時代を選ぶことができるんだよ?」


 しかし、ジャックは頑固な表情で首を振った。
「ダメ。パラドックスは……
「怪獣なんかぼくがやっつけてあげる!」
 熊は興奮してバタバタと足踏みをした。
「それか、上手に話せば怪獣も分かってくれるかも知れない! 【歌い手】の頼みならきっと聞いてくれるって!」


 やれやれ、とジャックは両手を広げた。
「見張り番がそんないい加減な態度でいいの?」
 からかうように、フロックコートの腹のあたりを指で突付く。熊は湿った鼻を堂々と振り上げた。
「ぼくら見張り番の仕事は、【歌い手】を悲しい気持ちのまま目覚めさせないことだよ。マヤルがこんなに会いたがってるんだから、怪獣もちょっとは同情してくれるかも知れない、うん」


 調子よく何度もうなずいている熊に、ジャックはげんなりと首を振った。
「怪獣なんて、いないんだよ熊さん」