夢の歌
  
番外編・ガールトーク(3)
 エレベーターホールにさしかかると、背の高い人かげがせかせかと歩み去るのが見え、ニナは、
「あら、サクルトン博士!」
 ことさら陽気に声をかけた。


 トビーは背中をこわばらせながらゆっくりと振り返り、笑顔を返した。
「どうも。ええと……
「ニナ・ウォルターズです。科学ジャーナルのカメラマンですわ」
「ああ。マ、ミハラさんに同行されてた。ではまた」
 トビーはそのまま、エレベーターホールの反対側の客室廊下へどんどん歩いていく。
「この階にお泊りですの?」
 ニナはトビーの進行方向に回り込んだ。仕方なくトビーの足も止まる。
「いえ、ミハラさんが、報道に割り当てられたのは宇宙エレベーターが見えない階だってこぼしておられたので、どんな風なのかなあと」


(どうせなら部屋番号まで教えときなさい、師匠)
 ニナは笑いをこらえてうなずいた。
「そうなんですよ。部屋の窓からは隣の建物しか見えなくて。財団VIPのかたならもっと眺望のいい、上のフロアにお泊りなんでしょう? 誘っていただけたら嬉しいですわ」
 話しながらニナがニコニコとにじり寄るので、トビーは礼儀正しくあとずさる。
「い、いや、部屋にではなくて、最上階のバーにでもと思ったんですよ。フロントに電話を頼めばよかったんですが」
(先になんとなく来ちゃって、エレベーターホールでウロウロしてたんだ。かわいいっていうか、バカ?)
 ニナは辛らつな寸評を笑顔のうしろに押し込み、長い足でさらに一歩を踏み出した。
「まあ素敵。今呼びますよ。私たち、同室なんです」
「いや、あの」
 トビーをじりじりと押し戻し、部屋のまえまでたどりつくと、ニナは片手でたくみにトビーの退路をブロックしながら、リーダーにカードキーを滑り込ませた。


「マイミー、ちょっと」
 部屋の奥に向かって声をかけ、ニナはドアのあいだにトビーを押し込んだ。
「ぜひご一緒したいんですけど、私は高速通信室で家族に電話しなきゃならないんで、失礼しますね」
 小声でまくしたてる。
 口をぱくぱくさせているトビーの鼻先で、ドアがバタンと閉じた。


 書き物机がごたごたと並んだ一角から、マユミの素足がぶらぶらとのぞいている。
「どうしたの? ニナ、忘れ物?」
「あー、あー」
 とにかく自分の存在を知らせようと焦るトビー。
「僕です。突然すみません、そこでばったりウォルターズさんに会って」
 眺望うんぬんの言い訳を始めようとした途端、ソファーの向こうで短い悲鳴があがり、続いてドターンと大きな音がした。
「マイミ!」
 トビーが駆け寄ると、じゅうたんの上に、ソファーから落っこちたマユミが倒れていた。すぐそばの床に、丸めたバスローブが転がっている。
「大丈夫ですか! うわ、えっと」
「へ、平気ですから、ちょっと向こうへ」
 床にへたばりながら、下着すがたのマユミはあたふたと片手を振り、トビーはきびすを返してドアに飛びついた。
「外、外へ出ていますから」
「はいあの、すぐ支度しますので」


 誰もいない高速通信室のテレビ電話ブースで、ニナはボーイにチップを払った。
「バーのほうに私への呼び出しがあっても、ここにお酒を運んだって言わないでね」
「かしこまりました」
 ニナはにんまりとグラスの中につぶやいた。
「師匠、健闘を祈る」


 そのころ、師匠は廊下で途方に暮れていた。
「すみません。部屋に入れていただくのを、僕が遠慮したばっかりに」
 スーツのパンツにニナのカットソーを着込んだマユミは、オートロックのランプが点灯しているドアノブに両手をかけ、がっくりとうなだれている。
「いえ、いいんです。フロントに言って開けてもらいますから。いや、バーに行くって言ってたから、ニナを呼び出してもらえばいいかな?」
「え? ウォルターズさんは高速通信室へ電話をしに行かれるってさっき」
 トビーの言葉にマユミは首をかしげた。
「通信室? 報道は優先的に客室で回線を使わせてもらえるのに?」
 うなじのヘアクリップから、大慌てでまとめた髪がはらりとこぼれる。
「ご家族への電話だから、仕事の回線を使うのは遠慮されたのかな? 折り目正しいかたですね」
 マユミは決まり悪げに笑い、目を伏せた。
……内規に厳しいんです。彼女」
 トビーは真っ赤に染まったマユミの首筋からまぶしそうに目をそらした。
「あのう、もしよかったらこのままバーで飲みませんか? ウォルターズさんもおられたら一杯ご馳走したい」
「はい、ぜひ。ニナはきっと……バーにはいないと思いますけど」


(ニナ・ウォルターズ、弟子入りを認める)
 マユミは、ずり落ちてきたサイズの大きいカットソーの肩を引っ張りあげた。



番外編・ガールトーク■おわり
原稿書け…