夢の歌
  
永劫の歌(6)
「うむ、働きに期待しておるぞ。さがってよい」
 猫は深々とお辞儀をしたままの姿勢で、後ずさりながら謁見の間を出て行く。
 ぷっと噴き出して自分も出口へ続こうとするヤールシタに、王が声をかけた。
「息子よ、お前への話はまだだ」


 ヤールシタはきょとんとして玉座を見上げた。
「見張り番を任命するやりかたを、私にもお見せくださるためにお呼びになったのでは?」
 王はすたすたと玉座を降りた。
「それもあったが、まだ別の用件がある」
 侍従たちに合図して、謁見の間に隣接した、国王専用の小さな居間に向かう。
「私はあとで結構です。謁見を待っているほかの者たちを先に」
「すぐにすむ。エストブ、お前も来なさい」
 有無を言わせぬ様子に、若者たちは首をひねりながらも大人しく従った。


「ウージーというのはどこの娘さんだ?」
「陛下!」
 エストブが弾かれたように一歩を踏み出した。
「カン違いをなさっておいでです、殿下は」
「わしは息子に聞いておる」
 休憩用の大きな椅子に埋もれるようにして、いつものごとく背をこごめて座っているだけなのにもかかわらず、人ばらいした小部屋で相対する王の威厳は圧倒的で、若いエストブはしゅんとして引き下がった。


「申し上げられません」
 ヤールシタはまっすぐ前を見つめたまま、アゴをぐっとあげた。
 王は苦笑してヒゲをゆがめた。
「一人前に騎士道精神を発揮するか。ではわしから言ってやろう。彼女は今城下に来ている、ノルテの一座の女性だ」
…… そうです」
 ヤールシタはちらと瞬きをしただけで、微動だにしない。
「なかなかの踊り手ですから、宮廷にまで名声が伝わっていても不思議はないですね。父上がわざわざ私のあとを尾けさせたりしたのでないかぎり」
「そんなことはさせておらん。そう攻撃的になるな」
 王は胸元から、たたんだ紙切れを取り出して書き物机に置いた。
「これを書いたのがウージー嬢だな?」
 ヤールシタの頬がカッと紅潮した。
「お前の衣服を片付けた侍従が、ポケットの中から見つけたのだ。いや、誤解するな。侍従は礼儀正しくお前の部屋の小卓に置いておいたのだよ」


 ヤールシタはブーツをきしらせて、書き物机ににじり寄った。
「そして、父上は私がいないときに部屋に入り、置いてある手紙をお取りになった」
 王は喉の奥で短くうなった。
「褒められたことでないのは分かっておる。中も読んではおらぬよ。ただ、この表書きの宛名が目に入ったのだ。ヤールシュへ、とな」
「私がそう呼ぶように言ったんです。いけませんか?」
 ヤールシタの若い激情に、王が一瞬ひるんだように見えた。
「決まっておるだろう。名を替えれば、その者にとってそれがそのまま人生の変転となる。気ままに略称など呼ばせて、お前の将来によもやのことがあっては」
 王の言葉がほんのわずか、弱々しく揺らぐ。その機に乗じてか、ヤールシタは書き物机から手紙を取って、ポケットに突っ込んだ。
「ではこれからは正式にヤールシュを名乗ります。父上も、本当はそのほうがいいのでしょう?」
「なんだと?」
 ヤールシタは初めてまっすぐに父親を見すえた。
「父上は、息子よとか、王太子とかおっしゃって、なんとか僕を母上がつけた名で呼ばずにすむよう工夫なさってる。母上が亡くなってからずっと」
 最後のところでゆらりと声を震わせてしまった不覚に、息子の言葉の衝撃に、親子のあいだに鋭い沈黙が落ちた。ヤールシタは一瞬肩を震わせ、そのまま小部屋を飛び出した。
「ヤール ……!」


「エストブ」
「は」
 王はさっきと全く変わらない姿勢で座っていたが、威圧的な印象は消え去っていた。
「あれはお前を信頼しておる。尾行をつけたとわしを責めたときも、それがお前かも知れぬなどとは、露ほども疑わなかった」
「はい」
 王はヒゲをなでながら苦笑した。
「できるならそうもしたいさ。あれと常に行動を共にしているお前には、逐一報告を求めたいところだ」
「陛下、私は」
 王は優しく片手を振ってエストブを制した。
「よいのだ。友として、これからも息子をよく支えてやってくれ。警護官の務めだけは怠るなよ」
「は……
 礼をしたまま床の一点を見つめ、エストブはアゴをぐいとひきしめた。
 若者を好ましげに見やりながら、椅子にふかぶかと腰かけていた王は、ふと顔をあげた。
「おお、せっかく捕まえてくれたのに、また見失わせてしまうな。行ってよい」
 エストブは無言でもう一度頭をさげ、御前を辞した。