夢の歌
  
永劫の歌(5)
「陛下。ヤールシタ殿下、カレンタムのエストブ、むささび老の、三かたにございます」
 侍従が呼ばわると、謁見の間の扉がおごそかに開いた。
 正面の玉座には、たっぷりとヒゲをたくわえ、略式王冠をつけた司祭服の男性が背をこごめて座っており、それが現在のこの国の国王であった。


「来たか、息子よ」
「父上」
 壇上には近寄らず、ヤールシタは下座で立位のまま臣下の礼をとった。王もあまり長々と言葉をかけず、次にひかえる若者にうなずいてみせた。
「エストブ、ようこれを捕まえた」
「陛下」
 エストブも挨拶の決まり文句は飾らず、きりりと頭をさげたのみである。
「そして老、よく参った。名残り惜しいのう」
「はい。長いあいだお世話になりました」
 むささびはかしこまって床に膝をついており、その隣に、侍従がフタつきのカゴをそっと置いた。


「ようやくこれという跡継ぎが見つかったのだな」
 王の言葉に、むささびはカゴのフタをさぐりながら、静かにうなずいた。
「これは好奇心旺盛で、風の変化にもよく気がつきます。きっとお役に立つことと」
 フタを開けると、むささびはカゴの中から、ひと抱えもある毛むくじゃらのかたまりを、苦労しながら引きずり出した。
「にゃあ」
 オレンジ色のシマ猫は、気持ちよく眠っていたところらしく、両脇を吊り上げられながら、不機嫌そうに抗議の声をあげた。


「猫か」
「はい」
 むささびはオレンジ色の猫を見下ろし、目を細めた。
「街の猫なのですが、【境い目の空】が通じて風が変わるたび、森の奥まで空を見にやって来ておりましてな。よほど空の様子が気になるのですわ。見張り番にはうってつけでございましょう」
 猫は床の上に下ろされるとゆっくりとうずくまり、あたりをもの珍しそうに見回しながら少しずつあとずさっている。
「ふふ、警戒してるぞ」
「はしっこそうな顔つきだ」
 まわりの侍従や家臣たちも、それぞれに身をかがめて猫をのぞきこんだ。王も笑みを浮かべながら、むささびに深くうなずいてみせた。
「老、小さき獣の身で、今までよく仕えてくれた」
「陛下」
 王はつと片手をあげ、声の調子を改めた。
「次なるものに役目を譲れ。いとまごい聞き届ける。ご苦労であったな」
 王の言葉とともに、むささびの体は消えていた。


「ああっ」
「老!」
 思わず声をあげたのは、若いヤールシタとエストブだけだったが、謁見の間に居合わせた全員が、目の当たりにした不思議に、驚きをかくせないでいた。
「息子よ、覚えておけ。これが王の言葉の力だ」
 たった今まで、ずんぐりした姿があったはずの場所には、簡素なマントが一枚くしゃくしゃと丸まっているきりである。皆が見つめるうち、布のかたまりがもぞもぞと動き、中から小さなむささびがもがき出た。
「老、元気で」
 誰かが声をかけた。しかし野生の顔をした獣は反応らしきものを返さず、敏捷な足どりで窓を駆け登り、するりと姿を消した。


「大丈夫でしょうか。だいぶ足が弱くなっていたのに」
「森まで送って行ったほうがいいのでは」
 侍従たちは顔を見合わせたが、王は首を振った。
「見たであろう? 年老いてはおらぬ。王宮に仕えているあいだ、あれの時間は止まっておったのだよ」
「そういうものなのですか……
 誰もが感慨ぶかげにため息をついた。
「では、次の猫もそうやって?」
 あちこちを見回した一同の目が、謁見の間のすみにぺたりと座っている、人間の子供ほどもあるシマ猫の姿をとらえた。


「おお――!」
 誰より早く驚きの声をあげたのは、猫自身だった。
「すごい! むささびのじいさんの言ってたことが、今いっぺんに分かりましたよ! 一日じゅう訳の分からないことを私に話しかけて、ああお迎えが近いんだなこの人、としか思っていなかったんですけどね。まあ喉をかいてもらうのがいい気持ちだったので、付き合ってましたが」
「よくしゃべるやつだな」
 笑い声に迎えられながら、猫は二本足で立ち上がって中央に進み出た。


「獣の顔したじいさんだけど、人間のように立って歩くし、ふるまいも人間ぽいから、てっきりあれも人間の仲間なのだと思ってました。そうなのかー、獣と人間の境い目に呼ばれるってこういうことなのか」
「ほう、猫よ」
 王が玉座から身を乗り出した。
「むささび老はそなたにそう教えたのか? 境い目に呼ばれる、と」
「そうなんですよ。あれ? えっと、あなたが国王陛下?」
「これ、わきまえよ」
 侍従が小声でたしなめたが、王は鷹揚に手を振った。
「よいよい。それ、後ろにいるのが我が息子だ。わしに……そう、お迎えが来たら、次の国王となる」
「はい、王子さま。よろしく」
 猫と目が合ったエストブは、慌てて片手を振った。
「私は違うぞ。王太子はこちら、ヤールシタ殿下だ」
「あ、そうですか。こちらの人のほうが押し出しが立派だからてっきり」
「おい、猫」
「ごめんなさい」


「ははは、正直なやつだ」
 ヤールシタの乾いた笑い声が、謁見の間の気まずい沈黙を破った。
「確かにエストブは、王国に並ぶものなき勇者カレンタムの家の出だ。獣に妖術をかけて使い魔にするような、怪しげな王家の血とは品格が違う」
「殿下、おやめください」
 エストブが小声で詰め寄る。
 王が壇上で片手を振った。
「いやいや、その通りだ。それの父親は今も辺境キューダンソーの開拓地で、むずかしい治安の維持にあたってくれている。かけがえのない国王の右腕なのだよ」
「もったいないお言葉です、陛下」
 エストブは友人のほうを気にしながら、玉座に頭を垂れた。


「おい、猫」
 ヤールシタは一歩進み出てマントをはねあげた。
「はい殿下」
「臣下の礼を教えてやる。こうだ」
 かかとを合わせてまっすぐに立ち、胸に片手をあてる。頭を垂れると同時に片膝を折り、玉座に向かって優雅にひざまずいた。
「やってみろ」
 猫はその場でぴょこりと頭をそらせ、見よう見まねで膝を折った。
「いいぞ。なかなかサマになっている」


 王は満足そうにヒゲをなで下ろし、玉座の上で声を改めた。
「では猫よ、今日よりそなたに【境い目の空】の見張り役を任ずる。前任者の残した教えを、よく守り伝えよ」
「はい」
「それ、そのマントもそなたが受け継ぐべきものだ」
 王が猫の足元を指差した。
「あのう、これですか……?」
 猫は床から、むささびの残したマントをつまみあげて広げ、裏と表をじろじろと確かめた。
「そなたにはちと小さいようだな」
「ええ、はい。そのようです」
「では新しいものを仕立てさせるとよかろう。なに、マントなど儀礼的なものだ。国王より下賜の衣類を身につけている、ということが大事なのだから」
「ははっ」
 猫は嬉しそうにぴょこんと飛び上がり、着地とともに膝をついて臣下の礼をとった。