夢の歌
  
永劫の歌(4)
「殿下、あの、殿下」
 ずんずんと控えの間へと進む王太子に、城の侍従たちがあたふたと取りすがった。
「殿下、なにも一般の謁見を待たれずとも。陛下の居間にてお待ちいただければ、すぐにお取りつぎいたしますから」
「いい」
 ヤールシタはマントをばさりとはね上げて、侍従たちを振り払った。
「みな忙しい中、謁見に参じてくれているんだろう? 私だって順番を待つ」
「しかし殿下」
 なおも引きとめようとする侍従たちを、あいだに入ったエストブが押しとどめて言った。
「殿下のおっしゃる通りだよ。このかたは誰よりヒマなんだから」


 互いの肩に拳を当て、ふざけ合いながら二人が控えの間に入ると、居並ぶ謁見者たちが一斉に立ち上がった。
「ありがとう。座ってくれ」
 ヤールシタは手をひらりと振ってみせた。大人びた仕草に、隣でエストブがニヤニヤしている。
 また拳骨を打ちあわせながら、空いている椅子のほうに歩いていくと、
「おや」
 小さな誰かがちょこんと腰掛けた椅子の前で、ヤールシタは立ち止まった。
「これは、むささび老」
 短いマントを羽織ったそれは、どこから見ても間違いなくむささびであった。
 しかし手のひらに乗るような大きさではなく、体長は大人の肩から指先までの長さほどある。むささびらしく、茶色い毛皮のあちこちは滑空用皮膜でダブダブしているのだが、この大きさでは、木から木へ飛び移るなんて芸当はとてもできそうにない。
「老、またなにか【境い目の空】で拾えたか? 【ぼよぼよ】は?」
 ヤールシタは椅子を引き寄せて、むささびの隣に座った。
「いいえ、今日はなにも。お会いできてよかった」
 むささびは静かに頭をさげ、茶色い耳をぷるんと振った。
「私もこのたび晴れて、お役御免となりますので」
「え?」
 ヤールシタは、白いふわふわの毛で縁取られた顔をまじまじと見つめた。
「どこかよそへ行くのか?」
「いいえ。次のものに代替わりするのでございますよ」
「え? そうなのか」
 ヤールシタの隣でエストブも目を丸くしている。
「私は、【境い目の空】の見張りがむささび老でなかった時を知らないぞ。お前、いや殿下もでしょう?」
「うん」
 興味しんしんの若者二人に、むささびはピンク色の鼻をうごめかしてほほえんだ。
「私の前は、ひきがえるでございましたよ。大抵の【歌い手】は、見るなり悲鳴をあげるか、腰を抜かすかだったそうで」
「それは気の毒なことだ。せっかくの夢が悪夢となったろうな」
 くっくと笑い合う少年たちを、むささびはニコニコと眺めた。
「しかし、かのひきがえるは、お役目は立派に果たしたと聞いております。異国の知識も【境い目の空】のことわりも、今に伝わる知識の大方はひきがえるが自分で考え、導き出したものだとか」
「ほう」
 むささびは表情ゆたかな黒い目を、ぱちぱちとまばたかせた。
「私めはお城に異国の品を届ける以外、なにもできませなんだ。しかし、持てる知識はしっかりとこれに」
 椅子のかたわらに、フタつきのカゴが置いてある。カゴのフタを小さな前脚でなでながら、むささびはさらに何か言いかけたが、
「むささび老、陛下がお目通りになられます」
 案内の侍従がやってきて、カゴをさっと運びあげた。
 もぞもぞと椅子から降りるむささびにヤールシタが手を貸していると、もうひとりの侍従が歩み寄り、かしこまって言った。
「殿下もエストブさまもごいっしょに、との陛下のおおせです」


 ヤールシタは表情をこわばらせた。
「おい、取りつがなくていいと言ったじゃないか」
「いえ」
 王太子の鋭いまなざしに、侍従は恐縮しながら首を振った。
「陛下が …… 殿下はすでにこちらにおいでではないかと」
「お見通しだな」
 軽い調子でエストブが言った。ヤールシタは仏頂面で友人を振り返ったが、すぐにニヤリとして肩をすくめた。
 王太子のご機嫌を損ねずに済み、侍従がホッと息をついたのを確認して、若者たちは謁見の間をあとにした。