夢の歌
  
永劫の歌(19)
 月光に輝く芝生を踏んで、王さまとアリスはゆっくりと大庭園を横切っていった。
「ねえ、むささび老のようにお役目を解かれたら、そのときは猫さんも森へ姿を消してしまうの?」
 アリスが言うと、王さまは首をかしげた。
「さて。獣の頭でしか考えられなくなるのだから、王宮に仕えていた間の記憶はもう理解できなくなっているだろうが」
 手をつないだ二つの影が、庭園の起伏をなぞっていく。
「元が街の猫だから、普通に可愛がってやれば居ついてくれるんじゃないかな?」
「じゃあ、お城で飼ってもいいのね」
「服は着せるなよ」
 アリスはぷっと吹き出した。


「私、猫さんがただの猫に戻ったときに、つけてあげる名前を思いついたの」
 歩きながら、王さまは黙って聞いている。
「猫さんのお役目が終わっても、私たちと同じ時間のなかに存在して、一緒に世界を体験していけるように」
 アリスが見つめ返すと、王さまもうなずいた。
「うん、それは良い名だ」



永劫の歌編■おわり

天の架け橋(1)
 パーキングスペースに、クリーム色のエアカーがそろそろと乗り入れてきた。窓超しに、孫のジャックが興奮した様子で手を振っているのが見える。
「いらっしゃい、ジャック、エレン」
 トビーは車庫入れする車をすぐ脇で見守りながら、笑顔でうなずいてみせた。


「おじいちゃあん! 猫―――
 かん高い声をあげながら、ジャックはゆっくりとせり上がって開くエアカーの扉を、もどかしそうに押し上げた。
 そのまま飛び出して来るかとトビーは身構えたが、大きなケージを両手で抱きしめているせいか、少年の動作は慎重だ。トビーは杖を頼りに腰をかがめた。


「とうとうおねだりを聞いてもらったか。いい子にするって約束は守るんだよ」
 片手でケージの取っ手をつかんだが、ジャックは小さな両手でケージを抱えたまま、渡そうとしない。トビーはあきらめて取っ手を離し、自分にそっくりな茶色のはねっ毛をくしゃくしゃとなでた。
「ジャックの猫なんだからね、世話もジャックの責任だ。できる?」
「うん、ちゃんとできる」
 ジャックは力んだ声で言い、そばかすだらけの顔を得意げにそらせた。
「名前もボクが決めたの。ノルテっていうんだよ」


「こんにちは、トビー」
 後から濃い金髪の女性が降り立った。食料品の詰まった買い物袋のひとつをトビーに渡してから、車の警報装置をオンにして振り返る。
「オレンジのシマ猫が欲しいってきかなかったんですけど、猫の選り好みをするなら飼いませんって、こちらも頑張りました」
「ふむ」
 トビーがプラスチックのケージのすきまから覗き込むと、中から仔猫の大きな瞳が見つめ返した。
「里親募集の仔たちのなかにはこの色のシマ猫しかいなくて」
 エレンの言葉に、トビーはにっこりと笑った。
「確かにこれはオレンジというよりは、こげ茶だね」
 かがめた姿勢からトビーがゆっくりと立ち上がるのを待って、三人は家へ向かった。


「オレンジじゃないけど、ボク大好きになったよ」
「うん、いい色だ。おじいちゃんも猫が飼いたかったなあ」
 大きなケージを胸の前に抱えたジャックと、片手の買い物袋を気にしながら杖をつくトビー。お互いに足元を確かめながら、前庭を歩いて行く。
「あら、知りませんでしたわ。トビーが猫ずきだったなんて」
 二人のために玄関ドアの開閉ボタンを押さえながら、エレンが言った。
「子供の頃の話さ」
 トビーはジャックを先に行かせ、ゆっくりと玄関ホールに入った。
「野良猫を連れて帰っては、飼いたいってダダをこねて、でも結局かまいすぎてね、いつも猫のほうに嫌われていたよ。ヒゲを引っ張っちゃあ、お返しにひっかかれて」
「そんな、いじめちゃダメだよ」
 ジャックは猫をかばうようにして、ケージを抱えたまま体をひねった。
「分かった分かった、今はしないよ。ちゃんと可愛がる」
 ホールを歩きながら、ジャックは不信そうにトビーを見上げた。
「ノルテは喉をかいてもらうのが好きだからね」
「了解」
 トビーはまじめくさった顔でうなずいた。