夢の歌
  
永劫の歌(18)
 庭園のはずれで、衛兵が松明を燃やしている。ちらちらと揺れるそのあかり目指して、エストブは月光に照らされた芝生の上を遠ざかっていった。
 ウージーだけは何度も振り返り、胸に片手を当て、頭を垂れ、そのたびにアリスは名残り惜しそうに手を振った。


 王さまがアリスの肩を引き寄せた。
「寒くない?」
「平気」
 アリスは王さまの胸にもたれかかった。
「室内で話せればよかったのだが、密談に密室は不向きなんだ。身を隠すものが何もない原っぱでなら、立ち聞きされる心配もない」
 アリスは上質な織り模様に額をすべらせた。
「王国を揺るがす秘密ですものね」
「すまなかった。君に先に話してあげられなくて」
 アリスはそっと首を振った。
「あなたも、この話はエストブさまが帰らない限り、口にしないと決めていたのね。エストブさまのお父さまの忠義に報いるため。そうでしょう?」


 王さまは静かにうなずいた。
「だからどうしてもこの御前公演で彼を捕まえたかったんだ。この子が生まれる前に話してしまいたかったから」
 王さまがアリスのお腹に手をあてると、アリスもその上に手を重ねた。
「この子も、王家の血は引いていないのね」
「だが即位すれば、王としての自覚に応じて必ず力が宿る」
「だけど」
 アリスが言いかけたが、
「ああっ」
 突然王さまが声をあげた。
「話のあと、子供たちも引き合わせろと言うのを忘れた」
 エストブたちが歩み去った方を振り返って伸び上がる。
「カレンタムどのは舞台もご覧になったから、花形のドニアの顔は見分けておられるだろうが、下の男の子たちを引き合わせれば絶対に雰囲気がなごむはずだよ。報告では三人とも“小さなエストブ”だそうでね」
「きっと子供たちの話も出るわ。大丈夫」
 なだめるように言いながら、アリスはおかしそうに笑った。笑顔を収めて、しみじみとつぶやく。
「お嬢さんのドニアも、顔立ちはエストブさま似ね。ほっそりした立ち姿はお母さん譲りだけど」
「ああ。舞い手もそっくりだ。ひらりと手を返すだけで、舞台を支配してしまう」
 アリスは王さまをじっと見上げた。
「ウージーはきっと……可愛らしい踊り手だったのでしょうね。あなたもちょっとは恋をしていたんじゃない?」
「さあ、どうだろうね」
 王さまはひょいと眉をあげてみせたが、すぐに懐かしそうに目を細めた。
「あの頃の私は、エストブの恋が実ったことが、嬉しくてしょうがなかったよ」
「大切な親友だったのね」
「自分の分身のように思っていた」
「別れて寂しかったでしょうね」
 王さまは何も言わなかった。アリスは夫の胸に耳を押し当てながら言った。
「サスキアに必要なのはあなたではなかったけれど、あなたは? あなたは誰を、何を必要としているの?」


 王さまはちょっと首をかしげ、言葉を探し、
「同じ時間のなかに共に存在し、共に世界を体験していけるような誰か、かな。まるでノルテだが」
 最後はクスリと笑った。アリスはあずまやの柱をにらみ、口をとがらせた。
「それなら何も私でなくたって、この世界で誰か、良家のお嬢さんをもらえばよかったんじゃないかな?」
「うん、選り取り見取りだったとも。いたた」
 王さまの頬をぐいとつねりながら、アリスはポーズではなく本当に憤慨していた。
「私が向こうで、どんな思いで空を飛んでいたか」
「分かってるよ。私を探してくれていたんだろう?」
「そうよ。どうしても風に乗らなきゃ、雲の向こうに行かなきゃって、なんにも覚えていないのに、気持ちだけいつも駆り立てられて、苦しくて」
 王さまがいきなり屈みこんで、片手でアリスを高々と抱き上げた。アリスは小さく悲鳴をあげて、王さまの肩にしがみついた。


「皆が色んな話を持ってきたが、すべて断わっていたよ。いよいよとなったら、王の血統について公表してしまおうと思っていた」
 アリスは王さまの顔を上からまじまじと見下ろした。
「そして玉座を降りるの? お世継ぎも残さずに?」
「養子を迎えるか、誰か若くて才能のある家臣を後継に指名するかしてね。今の私が王の力を宿していることは確かなのだから、次の王位継承者を宣する際にだって、言葉の力は有効だろう。ちっちゃなアリスが教えてくれた“せんきょ”を導入したっていい」
「まあ」


「サスキアのことを思い切ってからは、血筋によらず、よい政治を行える者の手に王国を渡せるよう、そうなっても国が混乱せぬよう、いろいろ頑張ってみたよ。思いがけず君が丸ごとこちらに来てくれたものだから、“渡りに船”と求婚してしまったけれどね」
「“境い目の空に船”かも」
「いいな。王妃アリスの故事として、王国史に残そうか」
 王さまはアリスを抱き上げたまま、ドレスのお腹に頬を押し当てた。


「そうよ。私は船で時空を渡って来たのよ」
 アリスは胸の前で王さまの頭を抱えながら、表情を暗くした。
「信仰王陛下の本当の父親は国王ではなかったとしても、おばあさまは、ご自身も立派なお家の出なのでしょう? カレンタム家も由緒正しいと聞くし、だから王の力も宿ったんじゃないの? まったくの異世界から来た私を母に持つこの子とは、いろいろ違うんじゃないかしら」
 王さまが腕をゆるめたので、アリスはずるずると降りてきて、石の床に足をつけた。
「私の子でもあるんだから、まったくの異世界人とは言えないと思うね」
 アリスの表情はまだ晴れない。
「でも …… せめて、名前は異世界由来のものにしないほうがいいかも知れないわ」
「トビーの名前はどうしてももらいたいんだろう? 男の子でも女の子でも」
「そうなのだけど」
 王さまは励ますようにうなずいた。
「彼がいてくれなかったら生まれることもなかった子だ。ふさわしい名前だと思うよ」
「そのせいで、もし異世界のほうの血が強くでたら。あなたの言葉の力が及ばなかったら」
 アリスは王さまの衣をキリキリと握り締めた。
「まあ、どうにかなるさ。そのときはいよいよ“せんきょ”導入かな」
「そんな……
 あくまで楽しげな夫の言葉に、アリスはますます眉をひそめた。
「私たちの都合で、国の未来を左右していいの?」


 庭園に遠く視線を投げながら、王さまは考え考え言った。
「君主と王国の関係って、そもそもそういうものではないだろうか。自分の未来が、そのまま国の未来につながると思えばこそ、君主は自分の生涯を愛しむようにして国を愛し、持てる力のすべてを尽くして国に仕えるのだろう。君主と王国は、そうやって運命を共にするんだよ、きっと」


 アリスの目に静かな光が射した。
「きっとそうね。永劫の精霊が花園のあるじとなったように。ああ、もう一度あのノルテを見たくなってきちゃった」
 ため息をついているアリスに、王さまは言った。
「アリス。精霊が最後に永劫の姿を捨てて小さな人になる、あの写本はね」
 大切な宝物のありかを教えるように、目を輝かせてささやく。
「おばあさまの家に伝わっていたものなんだ」



永劫の歌編■番外編をはさんで続く
いったん休憩です。お付き合いありがとうございました!