夢の歌
  
永劫の歌(17)
 アリスは手を伸ばして王さまの髪に触れた。
 背後で見守りながら、エストブがつぶやく。
「いなくなった【歌い手】のことばかり思って、お前が鬱々と暮らしていると風の便りに聞いたときは、よほど飛んで帰ってぶん殴ってやろうと思ったよ」


 王さまはアリスの肩を抱いて、エストブを振り返った。
「どうしてそうしなかった? この十七年、何度も城から使いのものが行ったはずだ」
「私は……家を捨てた身だから」
「お前に帰ってこいと言うんじゃない。一座までが王都を避けていた」
「父が悪いんです」
 ウージーが両手を固く組み合わせながら言った。
「御前公演の招きを受けるのは、あの神話のノルテを確かなものに仕上げてからにしたいって」
 エストブもうなずく。
「マルテクは、名家の子息をたぶらかして連れ去ったという風評を、ずっと気にしていたから。息子会いたさの父親に王宮に願い出させて、御前公演の許可を得たのでは、プライドが許さないとね」


「マルテクおやじらしい」
 呆れながらも、王さまは口元をほころばせていた。
「いまや星とベルフラワーのノルテは新版のほうが人気だ。今回の御前公演は、各地での大評判を聞いた王都の領民たちからの、熱烈な陳情で実現した。マルテクがプライドを賭けて勝ち取った栄誉だよ」
「そのお言葉だけで……父は泣いて喜ぶでしょう」
 言いながら、自分もむせび泣いているウージーを、王さまはおかしそうに眺めた。
「君は涙もろくなったなあ。子供たちの初舞台のときなんか、大丈夫だったのかい?」
「陛下、それはそれ、ですわ」
 エストブがニヤリと笑い、
「ドニアの初舞台のときは幕が下りたとたん、説教が始まったな」
 腕組みをして仁王立ちを真似てみせた。ウージーはエストブの腕を平手でぴしゃりとはたいた。


「きっと、厳しいお稽古の成果なのね」
 アリスはうっとりとため息をついた。
「今日のお嬢さんは、素晴らしかったわ。私は今も目に焼きついて」
「ああ、王妃さま。嬉しいお言葉です」
 ウージーはまた声を詰まらせた。が、すぐに気を取り直してしゃんと背筋を伸ばす。
「でも、まだまだ修行が必要ですわ」
「もう君は踊らないの?」
 王さまが言うと、ウージーは困ったように首を振った。
「いいえ、今回は何と言いますか……ゲンかつぎですの」
「ウージーは前回の御前公演のときの、踊り手のかしらだからね」
 エストブがあとを引き取った。
「全く違う踊り手に、いわば厄を払ってもらうのさ」
「まあ、そういうものなの」
「お嬢さんが因縁の舞台を見事に清めたのだね。私も肩の荷が降りたよ」
 王さまが言うと、エストブは首を横に振った。
「お前が責任を感じなくてもいいと言うのに」
「そうは言っても、やはりな」


 王さまはふと夜空を見上げた。
「ああ、月があんなに傾いて。すっかり話し込んでしまった。エストブ」
 ベンチの上でまっすぐ向き直ると、王さまは言った。
「カレンタムどのをお呼びしてあるんだ」
「父が、辺境からわざわざ?」
「西翼の舞踏室にお通しするよう言ってある。会っていけ」
「しかし、私は家を捨てて ……
 エストブは体を固くして口ごもった。
「今日会えたら、エストブにすべて話すと申し上げている。話は聞いた、とだけでも報告するんだ」


 王さまの強い口調に、エストブはアゴをぐっと引きしめた。
「ああ、うん。そうだな……分かった」
「別室にはお供の騎士たちも控えているから、はっきり言わぬよう気をつけろよ」
 エストブは無言でうなずいて、意を決したように立ち上がり、大きく息をついた。
「しかし……おっかないな。あのときの私は自分の役目を、家と宮廷との顔つなぎ程度にしか考えていなかった。自分がどんな勝手をしたか分かってみると、なお合わす顔がない」
「お年を重ねていよいよ凄みを増しておられるぞ。怒られて来い」
 エストブは口元だけニヤリと笑いながら王さまを睨みつけたが、踏み出した足をふと止めて、言った。
「陛下、あなたには何もかも世話になって……
「言ったろう? 私もお前に助けられた。いちいち恩義に感じていたら、切りがないくらい」
 王さまは自分も立ち上がった。
「行けよ、エストブ。私たちのあいだで、もう貸し借りは無しだ」