夢の歌
  
永劫の歌(14)
 沈黙が落ちたあずまやに微風が渡った。
 まだ冷える季節ではなかったが、あずまやの四隅に置かれた壷には、よくおこした炭が入れられていて、暖められた陶器の肌が、時折りちいん、ちいんとかすかな音を響かせた。


「カレンタムどのは、自分の口がこの話を語ることは金輪際ない、ときっぱりおっしゃったよ。たとえ自分の息子にでも。これを人に伝えるか、また誰に伝えるかは、王家の人間が決めるべきものだからとね。あのかたらしい忠義だ。それに」
 ふと言葉を切って王さまは微笑んだ。
「お前もお前なりの忠節を果たしてくれていたのだろう?」


 起き直ったエストブが王さまに顔を向ける。王さまはまっすぐにエストブを見つめた。
「自ら名家の名を捨てたお前は、武人としての生き方も捨てた。まるっきり、迷信の通りになるんだと思っていたよ。しかし人間、根本のところは名を替えたぐらいでは変わらない。ここ数年ずっと、王国各地の守備隊に、密売人の抜け道や盗賊の勢力分布など、酒場や行商人からの噂話を、二重三重の裏づけで検証したような、貴重な情報をまとめた投書が匿名で届けられているそうだ。いずれもマルテクの一座が巡業した地域に重なる」


「エストブ、あんた」
 ウージーが顔色を変え、エストブはゆっくりと頭を垂れた。
「すまない。下手に恨みを買うかも知れないのだから、お上に密告するような真似はよせと、お前にもおやじにも言われていたのに」
 王さまは、はたと座り直した。
「おい、危ない目に遭ったことがあるのか」
「そんなヘマはしないさ」
 エストブはニヤリと笑った。
「なにせ王太子さまのお勉強に付き合って、ご一緒に帝王学を叩き込まれたからな。宮廷の権謀術数に比べたら、田舎の泥棒一味のシッポをつかむなんぞ、チョロいもんなんだよ」
「でも」
 不安げなウージーがエストブの腕に手をかける。エストブはふっと息をついた。
「分かった。もうやめるから」
 ウージーはまだ探るように見つめている。
「そうとも。誰の注意も引いていない今のうちに、キッパリ手を引くのが賢明だ」
 王さまは声の調子を変えてベンチから身を乗り出した。
「“博打の退(ひ)きどきで、最初の勝ちで退くは金、最初の負けで退くは銀”」


「“あとは胴元と刺し違えるまでやれ”」
 エストブが声を合わせた。
「まあ」
 アリスが目を丸くする。
「なんて物騒な格言なの」
「軍師セテンの兵法ですよ、王妃さま。シグノイル古記、えーと」
 エストブが言いよどむと、王さまが指を一本あげて得意げに振った。
「第三の段、赤い丘の戦いだ」
「第五じゃなかったか?」
「まさか、第三だ」


「間違っていたらどうする? 何でもしてやるさ。塔のてっぺんからロープ一本で滑り降りてやる。言ったな」
 声色を作ってスラスラと言ったのはウージーである。
「万事こんな調子だったんですよ、王妃さま」
 アリスはウージーに顔を寄せた。
「それはコップどころじゃなく、バケツでお水をかけてやりたくなるわね」
「でございましょう?」


 アリスとウージーのくすくす笑いに、男たちは大げさに肩をすくめた。
「いかんな」
「少しは成長しているところを示さねば、奥方たちに格好がつかんぞ」
「では年長者に敬意を表して、ここは譲ろう。博打のくだりは第五の段だ」
「いやいや、第三だ。年寄りはとんと記憶力が落ちている。新婚だもの、せいぜいいいところを見せて……
 ふざけながら、エストブはふと表情をあらためた。
「そうだ、国王陛下。まだ結婚のお祝いを申し上げていなかった」
 ウージーを促して立ち上がる。ベンチに座る王さまとアリスの前に両膝をつくと、エストブは静かな声で言った。
「心よりお祝いを申し上げます」
 簡素な言葉のひとつひとつに、あたたかなまなざしが宿っていた。
「お2人と王国に、精霊の守りがありますように」


「ありがとう。エストブ、ウージー」
 王さまは平民の礼を取っている二人を立たせた。
「私たちからもお祝いを言わねば。話したいことがありすぎて、すっかり後回しになってしまった」
 そう言って、王さまは改めてエストブを抱きしめた。
「結婚おめでとう、我が従兄弟どの」
「そうか、従兄弟か」
 エストブは驚いたような表情で、ぽつりとつぶやいた。
「こんな嬉しい祝いの言葉はないな……ありがとう」
 うつむいたまま言葉をなくしているエストブを、王さまは微笑んで見つめ、泣いているウージーの手を取った。
「おめでとう、ウージー。なんとも盛大に遅れてしまったね。夫婦になって何年になるんだい?」
「ああ、もう十……四年になりますわ。早いもので」
 アリスもエストブの手を握り、ウージーには両頬にキスをした。
「大先輩ね。いろいろ教わりたいわ」
「ウージー、貴婦人がたの参考になるようなお話をするんだぞ」
「あら、エストブさま。私たち結構共通点がありましてよ」
 アリスは目をキラリと光らせた。
「私も生まれは平民ですし、坊ちゃん育ちの夫を持つ苦労なんか、聞かせていただけたらきっと有益ですわ」
「これはやられた」
 優雅に腕を振って深々と頭を下げるエストブ。石のあずまやに、笑い声が反響した。