夢の歌
  
夜明けの彼方(1)
「起きない……
 サスキアは体を起こしてつぶやいた。
「眠れる佳人は口づけで目覚めるものよ」


 庭園は夜の闇につつまれていた。薄い雲にかくれて星空はなかったが、あたりに雨の気配はなく、空気は暖かい。石づくりのあずまやの固いベンチで、肩にもたれて眠っている若者から、規則正しい寝息が伝わってくる。
「よっぽど疲れたのかな」
 ひとりごとのようにつぶやきながら、サスキアは相手がぽかりと目を開けて答えを返すのではと期待している。
「即位後はじめてのお誕生日だもの、式典も盛大だったわね」
 すこしの表情の変化も見逃すまいと、慎重に寝顔を見守る。
「何を歌えばいいか分からなくて、音楽学校の課題曲ばかりだったけど、みんなが喜んでくれてよかった」


 ふと見ると、略式王冠が王さまの頭からずり落ちそうになっている。サスキアは手をのばしたが、袖がするりと降りて寝顔にかかりそうになり、慌てて手を引っ込めた。
 たっぷりした袖は貴族用の晴れ着で、もう一方の手で端を押さえる優雅な所作を、今日の式典のために教えてもらっている。しかしサスキアはたもとを口でパクリとくわえて引き上げ、王冠を手に取った。王さまがサスキアの腕にしっかりと自分の腕をからめているので、自由になるのは片手だけだった。
「私とひとつしか違わないのに、一国の王さまだなんて」
 すがるように腕を取られながら、サスキアは手の中の王冠をもてあそんだ。
「私には何ができるかなあ」
 王冠にからみついた、繊細な花びらの意匠をなぞる。
「いつか、自分で歌を作ってみようかしら? ここの事を歌った歌」
 ちらりと寝顔をたしかめる。
「遅れてしまうけど、お誕生日の贈り物よ」
 まったく目を覚ます様子がない寝顔にしばらく見入ったあと、サスキアは小さくため息をついて、透かし彫りの入った石の背もたれに体をあずけた。


「ねえ、今は私のほうが年下だけど……私は、消えては現れるたびむこうでの一日を過ごしてきているわけだから、ここでの五〜六時間ごとに一日年を取ってるのよ。この分だと…こちらでの来週あたりで、私の誕生日も来るわね」
 庭園はしんと静まり返っている。
「私ばっかり早く年を取るのか……ちょっと不公平」
 誰もいない庭園に、途切れ途切れのつぶやきが吸い込まれていった。サスキアは王さまのマントを手に取って、端の細かな刺繍をそっとなでた。
「このあいだね、あなたの言葉を何度も思い返しながら眠りについたら、まさにその時間に戻ってしまったのよ。目の前で、動かない私とあなたが幸せそうに見つめ合っていた……でも、薄い膜があるみたいな感じで、止まった絵の中にはどうやっても入っていけなかったの。私がすでに存在している時間には、私がもうひとり入っていく余地はないってことかしら?」


 サスキアはもう寝顔をたしかめることはせず、じっと手元を見つめている。
「次はね、うんと先の未来を思い描いてみたの。二十五歳のあなた。即位して七年目。そうしたら、謁見の間に、すっかり大人の男性になったあなたと、小さな女の子が見えたわ……あなたの娘かしらね?」
 なんでもない風を装いながら、手の中でくしゃくしゃにしていたマントのシワを、慌てて伸ばした。
「その子は苦しそうに胸を押さえながら泣いていて、あなたが優しく涙を拭いてあげていた。入っていって言葉をかけたかったわ。けど、できなかった。その子の悲しみが伝わってきて、まるで自分のことのように胸が痛くて……
 サスキアは、王冠をぶらさげたままの片手を、ドレスの胸に押し当てた。とがった金属の花がチクリと胸を突いた。
「もしかしたらあの子は私の娘で、それで心が通じて……金色の髪をしてたけど、あり得なくはないじゃない? 親戚にはブロンドもいるし……
 サスキアはとりとめもなく浮かんでくる想念を追いかけて、しばらく黙り込んだ。
(サスキア18歳・国王19歳)