夢の歌
  
夜明けの彼方(2)
「猫さんに聞いてみたいけど……あの猫さんは嫌いよ。自分は本当のことしか言わないくせに、こっちが本当のことを言うと、とんでもないって顔をするんだもの」
 サスキアは憮然とした表情で口をつぐんだ。
「だって、当然の疑問でしょう。もし私とあなたが、そうなったとしたら……
 ため息のように小さくささやき、目を閉じる。
「あなたも同じことを猫さんにたずねてたって聞いて、嬉しかった。私を妃に迎えて、完全にこっちの世界の住人にするのは可能かって……それだけで十分よ」
 しばらく黙り込んだあと、サスキアはぱちりと目を開け、口元をちょっと曲げた。
「猫さんは、あなたにも現実的なことを言ったんでしょうね」
 ふん、と短く息を吐き、
「私にはこうよ。陛下は将来ちゃんとお后を迎えて、王国を統治していかねばならないのです〜」
 大げさに声を作って語尾をのばす。
「だったら、どうして私をあなたのところに連れてきたのよ。お城に異国のものを献上するのがお役目なんだから、私を王さまの寵姫として献上すればいいんだわ」
 強い口調で言ってしまってから、サスキアはぶるりと首を振り、恥じ入ったように顔をそむけた。
……普通は小さな子供ばかりなのよね。私ぐらいの年で、自由にあの【境い目の空】に現れるのは珍しいんだものね。あっちでも、よく言われるわ。夢見がちすぎるって」
 吐き捨てるように言ったあと、目がうろうろとあたりを探る。
「でも、思うんだけど……こっちの誰かと結ばれたら、私もこっちの人間になれるんじゃないかしら? そんなの都合がよすぎる?」
 サスキアの目は、しっかりと絡み合った腕に沿って漂った。
「猫さんには、そんなおとぎ話みたいなって呆れられたわ。自分こそおとぎ話そのものみたいな姿をしているくせに、言うことには夢がないのよね」
 取られたほうの腕をそっとひねり、豪華な指輪のはまった若者の手に、自分の手を重ねた。
「猫さんが言うには、もしそうなったら」
 サスキアはのどに物がつかえたように、一瞬言葉を途切らせた。
「もしそうなったら……生身の私の比重が大きくなりすぎて、夢の内容を覚えておくための場所を、現実世界の私に明け渡さなければなくなるそうよ。すると、ここへ来るのが難しくなる」
 サスキアは眉を寄せ、視線をぐいとそらしてあずまやの柱の彫刻に見入った。
「私がここへ来れるのは、心が子供のように軽やかで澄みわたっていて、生身の体とまだあまりしっかりと結びついていないかららしいわ」
 また息を吸い込んだが、サスキアは苦しげに感情を抑え、ため息を飲み込んだ。
「サスキアさまの無邪気さは、地の塩ですよ、だって。そんなお上手いらないのに。私が欲しいのは……
 サスキアはぎゅっと目を閉じて、こめかみを王さまの髪に押し付けた。


……私が欲しいのは、空を飛べる翼よ」
 サスキアは王さまの髪に頭をもたせかけたまま、暗い虚空を見つめていた。
「風船やほかのいろんなものみたいに、私もあっちの世界から東風に乗れば……
 視線を手元にもどし、サスキアはわずかに肩をすくめた。
「それも猫さんに止められたわ。気球や飛行機なんかが、あっちの世界で開発されているのは知ってるけど、そういう人間が乗るような飛行装置で、ここまでたどり着いたものはないって。飛ぶときには操縦者が突発的な風を避けているんだろうし、風の中に突っ込むような飛び方をしていたら、途中で墜落してしまうかも知れない。死んでしまっては、夢でここを訪れることもできなくなってしまう」


 王冠を持った片手をだらりと膝に乗せ、サスキアは淡々とつぶやきつづけた。
「たとえなんとかして、あっちの境い目の空にたどりつけたとしても、それだけじゃただそこで、ふわふわ浮いてるだけなんだって。そのとき眠りの中で、こっちの境い目の空を夢見ている誰かがいないかぎり、二つの世界はつながらないそうよ。飛行機を操縦しながら、眠るわけにはいかないものね……


 サスキアはふわりと起きなおり、寝顔を優しく見おろした。
「人間の見る夢が境い目を飛び越えたときに、あっちの境い目の空でウロウロしてた風船やなんかを、一緒に連れてきてしまうんだって。夢ってすごいわね。それに引きかえ、あの猫さんの夢のないことったら」
 顔を仰向け、また声色を作る。
「物理的な問題よりなにより、あっちの世界の家族や友人を永遠に捨てて来ることになりますよ、そんなことができるんですか、だって。夢のない猫は嫌いよ……


 サスキアはまた深々とため息をついた。
「夢の私が本当の恋に近づくたびに、本当の私はあなたから遠くなるのね」
 膝に乗せた略式王冠を、指でそっとなぞる。
「いつまで一緒にいられるのか知りたくて、もっと未来ものぞいてみようと思っていたけど、やめておくわ。あなたがブロンドの誰かと一緒だったら怖いから」


 遠くから大勢の人の気配がして、サスキアはそっと頭をめぐらせた。
 庭園の小道を、分厚い毛布や枕をかかえた侍従たちが、一列になってやって来る。
「陛下はよくお眠りですか?」
 先頭の侍従があずまやの階段を上がって来た。声をひそめ、音をたてないよう足の運びに神経をとがらせているが、
「ええ、ずっと話しかけていたけど、起きやしないわ」
 サスキアはかまわず普通の声で答えた。


「わあ、もったいない。サスキアさまのお話なら、ひと言も漏らさず聞いていたいです」
 後に続く侍従たちも、粛々とあずまやの階段を上がってきた。
「夢を通ってやってくるのは、大抵小さな子供ばかりで」
「本人も何が何やら分からないままに、夢から覚めて消えてしまうんですよ」
 コソコソとささやき声で話しながら、石のベンチの上に毛布を広げる。
「異国の話も聞かせてほしいのに」
「歌はまあまあ聞けますが」
 サスキアも協力して、広げられた毛布に、眠っている王さまを横たえた。
 体を持ち上げられても王さまは、
「う〜ん」
 気持ちよさそうなうめき声をひとつあげたきり。サスキアが膝のうえに載せた枕に頭を沈めると、またすうすうと寝息をたてはじめた。


「でも歌といったら、サスキアさまほどの名手はいなかったよね」
 サスキアから略式王冠をうやうやしく受け取り、小さなクッションの上に据えると、また小声のおしゃべりがはじまった。
「それに、子供は時間の概念がしっかりしてないから、訪れもバラバラで」
「何年もあとにひょっこり現れたり」
「過去に戻ることはできないらしいですが」
「あら、そうなの……
 サスキアが声をあげると、侍従は、おや、と首をかしげた。
「サスキアさま、過去に行ってみようとなさってました?」
「ええと、実はそう」
 すでに過去に行って、王さまと自分を見てきた、などと言うのはためらわれて、サスキアは曖昧にうなずいた。


「なんか無理みたいですよ。いったんこちらの時間のどこかに足跡を残したら、あとは時間の流れに従って一方向へしか存在できないらしいです」
「猫が言ってました」
 侍従たちはお互いに顔を見合わせつつ、うなずきあっている。
「そりゃそうですよね、一度出会って私と話した誰かが、過去へ戻ってまた私に会ったら、そのあとの初対面のときに“はじめまして”って言えなくなってしまう…あれ? これで合ってる?」
 話しながら混乱してきたらしいひとりを、サスキアはくすくす笑って励ました。
「タイムパラドックスよ。SFじみてきたわね」