夢の歌
  
境い目の空(5)
 アリスは目をきらきらさせながら人々を見回した。
「ねえ、強い東風が吹く日を選んで、あっちからぼよぼよをたくさん飛ばしたらどうかな。かなりの数がこっちまで飛ばされてくるんじゃないかしら?」
 皆ぽかんとした顔で曖昧にうなずいた。
「それはそうだろうけど……
「そんなにたくさん【ぼよぼよ】を持ってる知り合いなんているの?」
「うちのパパよ!」
 アリスはほとんど飛び上がりそうになりながら答えた。
「風船を使った開店記念イベントを、社長みずから立案したのに、いまの季節は風が強すぎてその手の演出には向かないって、部下の人に反対されたんだって!」
「よく分からないけど」
 アリスはひとり興奮している。
「ああ、学校の友だちはみんな、家がお医者だったり爵位持ちだったりするのに、私ひとりスーパーの娘なんてカッコ悪くて嫌だったけど、こんなところで役に立つなんて!」
 ぴょんぴょん跳ねながらまくしたてるアリスをなだめるように、ひとりが肩を突付いた。
「ねえ、【ぼよぼよ】をいくつくらい使うの? そのいべんとって」
 アリスは見得を切る呼吸で振り返った。
「三百か……五百か、もっとかも!」
「ごひゃ……すごい」
「初めて支店を出す土地だから、開店イベントはうんと派手にするって言ってたもの。よーし、どんな強風の日でも風船を飛ばすように、パパを説得するわ! あれ?」
 アリスはふと首をかしげた。
「パパに風船を飛ばすよう頼みに行くには、私は夢から覚めなきゃいけないのね。お祭りは、見られないんだ……
「どうして? また戻ってくればいいじゃない」
 皆を見回して、アリスはふるりと首を振った。
「だって、同じ夢をもう一回見るなんてできないわ」
「そうでしょうかね?」
 猫はしたり顔で耳を動かしている。
「あなたくらいふわふわしやすい女の子なら、同じ場所を心に念じて夢に見るくらい、朝飯前って気もしますけど」
 そう言って、猫はぺろりと鼻先をなめた。


■■■

「で、どうだったんですか? すーぱーのいべんと、とやらは」
「散々よ」
 アリスはにっこりと答えた。立派に完成した観覧席の最下段に腰掛け、猫や街の人たちに囲まれている。
「巨大なイメージキャラクター人形のお腹がぱかーんと開いてね、中から風船がふわふわあふれ出す……はずが、一直線に突風が吹きつけて、風に巻かれて風船は全部、ばーっと地面を転がって」
 身振りを交えて話すアリスの周りで、人々がくすくす笑った。
「ビル風もあって、一番せまい路地へしゅーっと吸い込まれてから、空へ飛んでったんだけど、そっちは舞台の後ろ側だったもんだから、お客さんには全く見えずじまい」
「分からないけど、大変だったのねえ」
「おかげで私たちは、貴重な【ぼよぼよ】が山ほど手に入ったわ」
 一同は広場の中央を振り返った。
 石畳の広場の真ん中では、鈴なりにまとめられた色とりどりの風船が、ふわふわと待機していた。計画書通りのカゴが取りつけられ、今は縄で地面スレスレまで引き下ろされている。
「ぼくらのほうの計画は、うまくいくといいなあ」
 粗い木組みに布を巻いて飾りつけた観覧席には、街の住人が続々と詰め掛け始めている。
「さあ、【歌い手】はそろそろ乗り込んでちょうだい」
 声がかかると、アリスを取り囲んでいた人垣が、ゆるゆると動き出した。
「あの、私はそんなに歌は上手じゃないんだってば」
 しり込みするアリスを皆の手が押し出す。
「大丈夫。あなたにとっては夢の中なんだから」
「どんな音域だって出るんだよ」
「楽しみねえ、きっと夢みたいな歌声が聞けるわ」
「そういうものかしら……
 アリスが不安げに振り返ると、
「そういうものです」
 猫が自信たっぷりにうなずいた。