夢の歌
  
境い目の空(3)
 分厚い雲を通り抜けると、視界がいきなりひらけた。
「うわあ」
 空の真ん中に放りだされた気がして、アリスは思わずしゃがみこんだ。足の下の雲は相変わらずしっかりと頼りがいがある。
 丸いかたまりに両手でつかまりながらおそるおそる見おろすと、地上がすっかり見渡せた。雲の足場はだんだん細くなりながらも、途切れずに下まで続いている。森はさらに広がり、なだらかな平野へとつながっていた。
 今度はぐるりと首を回して来た道を振り返る。さっきくぐってきたはずの雲の切れ間は、もう青空にまぎれて分からなくなっていた。
「猫さあん、降りちゃっていいのお」
 ひとり言のような呟きに、当然返事はなかった。アリスはどんどん降りた。
「せえの、それっ」
 雲の最後のひとかけらから、思い切りよく踏み切って、アリスは森の草地に降り立った。


 ばささ、ばっささ、ばさばさ
 アリスは森の小道を、音のするほうへ歩いていった。水のにおいがして、小道は湿地のほとりに出た。水辺はぐるりと葦の切り株に囲まれており、岸で誰かが、乾燥させた葦の束を丁寧に揃えている。
 ばささ、ばっささ、ばさばさ
「なにをしてるの?」
 アリスが声をかけると、女は汗を拭きながら振り返った。
「これでカゴを編むのよ。人が乗れるくらい大きなのをね。あなた、ちょっとそこに立って」
 アリスは言われるままに細長い木の板をあてがわれて立った。女が「幅、奥行き、高さ」などとつぶやきながら、板に木炭でしるしを入れる。
「さあ、これで仕事にかかれるわ」
 にっこりと言い、葦をひと束つかむと大きく編んでいく。女の見事な手さばきをしばらく眺めたあと、アリスはまたぶらぶらと歩いていった。


 とんとん、と、とん、とんとん
 アリスは音のするほうへ歩いていった。森が途切れるとそこはひなびた集落で、大きな納屋の前に男が座っていて、わらのような束を槌で叩いてならしている。
 とんとん、と、とん、とんとん
「なにをしてるの?」
 アリスが声をかけると、男は木の腰掛けから立ち上がって答えた。
「これで縄をなうんだよ。人ひとりの体重を支えられるくらい丈夫なのをね。ところでキミの体重は砂袋いくつぶん?」
 男が納屋の道具置き場へ手招きする。アリスは言われるままに、大きなてんびん秤に乗りこんだ。
「なるほど、なるほど。もうちょっと太く作っておこう」
 男がいそいそとわらの山に向かうのを見送って、アリスはまた小道を歩いていった。


 ガヤガヤ、ぺちゃくちゃ
 にぎやかなおしゃべりが聞こえる。小道は広い通りに変わっていた。こぎれいな前庭のついた小屋が建っている。開け放された入り口から中をのぞくと、そこは女たちが集う機織り小屋だった。
「なにをしてるの?」
 アリスが声をかけると、女たちは忙しく図案を見比べながら答えた。
「吹き流しの垂れ幕を織るのよ。晴れた空に映えるような鮮やかなのをね。あなたの髪の色はいいわね。幕の色はこれにあわせましょう」
 小屋に引き入れられ、アリスは女たちの真ん中に押し出された。ハギレの並んだ色見本の前に立たされる。
「こっちのほうがよくない?」
「あら、色目から言うとこっちでしょう」
 とっかえひっかえ見本を並べ替えながら、次第に議論が白熱してくる。色見本と女たちの果て無き攻防をしばらく眺め、アリスはまたぶらぶらと歩いて行った。


 トンテンカン、トンテンカン、トントン
 アリスは石畳の広場に出た。大勢の人が道具を手に行き交い、粗い仕上げの木材を組んで、即席の観覧席や演台を建てている。
「お祭りでも始まるの?」
 アリスが声をかけると、皆それぞれの持ち場へ向かいながら答えた。
「そうだよ」
「さいきんお元気がない王さまのために、みんなで演しものを考えたのさ」
 話しながら人々の視線が示す方向には、立派な石の城門があった。その向こうには尖塔を備えた城郭がそびえ立っている。
「王さまがいるの? あのお城に?」
 アリスはぐっと背伸びをして、城門をあおぎ見た。
「そうだよ」
「陛下は、ときどき迷い込んでくる異国の品物がお好みなんだ」
「これをご覧になれば、きっと元気を出してくださるよ」
「それなのに、肝心の【ぼよぼよ】がまだ到着しないのよね」
「あなた、オレンジ色のシマ猫を見なかった?」
 アリスはあっと言って人々を見回した。
「二本足で歩く?」
「そう、よくしゃべる」
「途中まで一緒だったのよ! 皆さんはあの猫さんの知り合いなの?」