夢の歌
  
夜明けの彼方(3)
「えすえふ?」
 侍従はオウム返しに言って首をかしげた。
「最近はやりだした小説よ。大抵そういうときは、時間を飛び越えた誰かが、別の時間に降り立ったとたんに歴史が変わってしまって、いままであったはずの未来も、あっさりなかったことになっちゃうのよね」
「ほう……
 サスキアは眉間に片手をあてて記憶をたどった。
「未来は、時間軸のあらゆる局面において、新たに作られ直している……だったかな」
「たいむぱらどっくす。覚えておきます」
 あまりピンときていない様子だったが、侍従はうやうやしく頭をさげた。
「サスキアさまのお話は深淵だなあ」
「そうだサスキアさま、そういうわけだから、あまり一足飛びに未来へ飛んでしまわれないよう、気をつけてくださいね。一度そこへ着地してしまったら、もうそれ以前の時間へは戻って来れないそうです」
「まあ! 気をつけるわ」


(危なかったのね……むやみに未来へ降りてしまわなくてよかった)
 サスキアは安堵のため息を押し隠した。
(たとえ遠い未来の彼に会えたとしても、私がそこへ降り立った瞬間、彼にとってはそれまで何年も私に会えずに過ごしたことになるのだわ。それじゃ意味がないもの)


 サスキアのひそかな動揺をよそに、侍従たちはてきぱきと支柱を取り出して、あずまやの中のベンチの周りに、幕屋を建てめぐらしはじめていた。
「大掛かりなのね」
 あずまやは柱だけなので外気は素通しだが、今夜は風もなく十分あたたかい。しかし侍従たちは、彼らのあるじを、大切に大切に天幕のなかへ囲い込む。
「お風邪でも召したら大変なのですけど」
「このままご寝所にお運びしたら、きっとあとでお叱りを受けますから」
「私たちはこのままここで、お話のつづきを聞かせてくださいね」
「あとで陛下がお目覚めになっても、これなら叱られませんし」
 わくわくした顔で働く侍従たちは、早く仕事を片付けたくてしょうがないらしい。サスキアは首を横に振った。
「ねえ、これではここのみんなが疲れてしまうわ。私はこれからは、こちらの一日に一回現れるだけにしようと思うの」


 皆びっくりした顔で手をとめた。
「そんな」
「私たちは全然平気ですよ」
 なあ、とうなずき合いながら懸命に訴える。
「でも、彼は私を待ってあまり寝ていないのでしょう?」
 サスキアは王さまの肩に手をすべらせた。
「はい。サスキアさまがいらっしゃったら、必ず起こすようにとのお言いつけで」
「我々は勤務交替がありますから、いつもお会いできているわけではないですが、陛下は」
 王さまは式典のあと、皆とサスキアを囲んで話をしながら倒れこむように眠ってしまったきり、目を覚ましていないのだった。


「これじゃ体を壊してしまうわ」
 サスキアが言うと、皆ため息をついてうなずいた。
「そうですね……
「サスキアさまがそうおっしゃるなら」
「きっと毎日来てくださいね」
 サスキアは、心細げな皆の顔をぐるりと見回した。
「約束するわ。わあ、もう夜明けよ」


 幕屋の開口部から夜空を見はるかすと、いつのまにか、東の山の稜線がくっきりと見分けられるようになっている。
 まだらに照らされた雲が、うす闇の中に、藍と黄金とあかね色の兆しを宿し始めた。
「なんてきれい……
 サスキアはため息をついた。
「山のあそこはどうしてあんなに光っているの?」
 伸び上がって指さした。日の出の気配はまだ遠いのに、ある頂だけが強く白く光を放って、稜線をきわだたせている。
 侍従たちもみな東へ頭をめぐらせた。
「あそこは、山のむこうがわに大きな塩湖があるんだそうですよ」
「こちらの日の出より先に朝日が反射して、明るく光るんですって」
「猫が見てきて、そう言ってました」
「また猫さんか……
 指さしていた手をぱたりと下ろし、サスキアは口の中でつぶやいた。