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(5)

 うながされるまま、男たちの車に乗り込んだ。
 広い後部座席に、私とユウトを両側からはさむようにして、男ふたりが座る。ドム、ドム、と、高級車の音をさせてドアが閉まった。自動ロックがガタンとかかると同時に、車は音もなく走り出した。
 こういうの、映画で見た。いかにもマフィアだ。マフィアという言い方で合ってるのかな? ユウトにたずねたかったが、頭のなかをぐるぐる回る疑問のどれひとつ、言葉として発音できそうになかった。
 ぴったりとくっついているので、何気なく彼の顔を見る、ということすらできない。しかし顔を見てユウトの表情を確かめるのも怖いのだ。私の身柄はどうなるのか、ユウトには見当がついているのか、それはどういったたぐいのことなのか。何も知りたくなかった。
 足もとのカーペットを踏みしめると、ふかふかの毛足が足の裏をくすぐった。ユウトは部屋を日本式に土足禁止にしていたので、私ははだしで窓から飛びだしていた。
 ふと思い出した。ゆうべ脱いだ靴は、ユウトの部屋の入り口のイスの下に置いたままだ。男たちは女ものの靴を見とがめたのだろう。ユウトはすすんで私を売ったわけじゃなかった。
 ため息をついてシートにもたれると、ユウトがそっと肩を寄せて、体重を支えてくれた気がした。

 車はトンネルや橋をいくつも越えた。ごたごたした都会から離れ、だんだんゆったりした一戸建てが増えはじめる。高級住宅街っぽく一軒一軒の間隔が遠くなり、豪邸がますます増えて、車窓のながめが、白くのっぺりした長い塀ばかりになったとき、男のひとりがなにか言った。目をつぶれ、みたいなことを。
「目をつぶって。あとで警察に訊かれても、見てないものは証言できない」
 ユウトが日本語でささやき、私はすばやく従った。
「この界隈は個人宅の防犯カメラが多い。車内のようすまで映ってしまうから、僕らに目隠しや覆面なんかできないんだ。ヤツらがボスの自宅を見せたがらないってことは、まだ生かしておく気があるってことだよ」
 男のひとりがうなるようなひと声でさえぎり、ユウトは早口のおしゃべりをやめた。
 さいごにユウトの声を聞いてから、永遠みたいに長い時間が経っている気がする。強く閉じたまぶたのあいだに、涙がにじんだ。泣き声がもれないように、私は歯をくいしばった。

 声をかけられて目をあけたときには、車はこぎれいな庭の奥まで入り込んでいた。広々とした平屋根の二階屋がすぐそばに迫っている。車は建物の入り口のドアに合わせ、ぴたりととまった。
 建物に入ってみると、屋内はとにかく縦よこのスケールが大きい。天井は高いし廊下は長いし、さすがボスの邸宅、と感心していたら、奥へ奥へと歩かされるごとに、そのスケールはどんどん大きくなった。すでに階段を三階ぶんのぼっているから、さっきの二階屋とは別の棟に来ている。車が横づけされた入り口はただの通用口で、正面玄関ではなかったらしい。敷地のはしっこの翼(よく)からは、母屋が見えないくらい広い、ということだ。
 いちいち、さすがボス、と心のなかでつぶやいてしまうのだが、キョロキョロするたび後頭部がグラリと痛んで、これがのんきな豪邸見学ツアーではないことを思い出させてくれた。

 長い長い廊下のつきあたりで、大きな両びらきの扉がもったいぶって開いた。いよいよボスのおでましかと緊張すると、部屋にいたのは私たちを連れてきた男たちと似たようなスーツ姿の面々だった。人種もさまざまなマッチョたちは、さらに奥へとつづく扉の前に、イスを置いて陣取っている。護衛だろうと思ったら案の定、私とユウトはそこで身体検査を受けた。
 膝までのスキニージーンズにTシャツという私の服装では、見るからに大した武器は隠せない。グローブのようなゴツい手は事務的で、わき腹やお尻をパンパンやられても、嫌悪感を感じているヒマもなく、私はすぐに解放された。ユウトはさすが念入りにあちこちさぐられている。彼がこっちを見たら、せめて目と目で励ましあえるよう、私はユウトから目を離さずにいた。私を巻き添えにした張本人ではあるが、いま頼れるのは彼だけなのだ。
 巻き添え ――― 私はなにか、見つかっちゃ困るものを隠し持っていたのではなかったか?
 記憶の断片が稲妻のようにひらめいた。ウエストの背中がわに押し込んだはずの、なにか固いもの。
 私の手がなにもないジーパンの腰をさぐるのと、護衛がユウトの背中から手作りフォトフレームを引っぱりだすのが、同時だった。つづいて、丸めたビニール袋の残骸が、間の抜けた手品のタネのように、ぽとりと落ちた。

 もうダメだ、殺される。
 恐怖も許容量を越えると、なんの感情も起きなくなる。ユウトが護衛になにかをまくしたて、護衛がぶつぶつ言いながら奥の部屋へ消えるのを、私はただぼうっと眺めていた。
 奥の扉がおごそかに開いて、白い光のなかに、静かな表情をした初老の男が立った。
 肌の色は浅黒く、いろいろな血が混じった感じの顔だ。太ってはいないが、まぶたや頬の肉が厚ぼったいので、表情筋の動きが読みとれない。欧米人のあいだではこういう顔は東洋的とされるのだろうか。しかし東洋人の私から見れば異国的としかいいようのない顔で、けっきょくどこの国の出身といっても通りそうだった。ぱりっとした黒いスーツを着て、半分閉じたような目でユウトを見つめながら、護衛の報告にじっと耳を傾けている。
 奥の部屋のつきあたりはバルコニーになっているらしく、男はまばゆい陽射しを後光のように背負っていた。静かな目鼻は彫りつけたように左右対称で、まるで仏像のようだと思いながら、私はマフィアのボスの顔に見入っていた。

 すぐに分かったが、ありがたい仏像顔の男はマフィアのボスではなく、専任の給仕だった。ボスの遅い朝食の邪魔をするにあたって、護衛はまずこの給仕にとりつぎを願っていたものらしい。
 お許しが出たようで、私とユウトはそのまま奥の部屋へ通された。明るいバルコニーの、花を飾ったテーブルで、小柄な男性がこちらに背を向け、眺望を楽しみながら、ゆったりと食事をとっていた。
 薄い白髪あたまにはまだ寝グセがついている。つやつやした生地のドレッシングガウンはきちんとしているが、すそからは色白のスネがむき出しという、くつろいだ格好のおじさんだ。おかしな角度に片腕をあげたまま、じっとしている。
 部屋の中央あたりまで歩いたところで護衛に肩をおさえられ、私たちは立ちどまった。おじさんは片手で上品なナイフをかかげている。銀色の表面に一瞬、鋭い眼光をたたえた片目がよぎった。
 ナイフごしに私たちを観察しているのだ。
 自宅の場所を知ってはいけないのと同じく、このひとの顔を見れば命はない。あらためてそう思い知らされたところで、ユウトだけがバルコニーに引きだされ、私はガクリと膝をついてしまった。テーブルを回り込んで、ユウトはおじさんの正面に立たされている。面と向かってワビを入れ、組織を裏切った報いを受けさせられるんだ。ゆらゆら揺れる視界のはしで、ユウトはおじさんに懸命に語りかけていた。命ごいだろうか ……

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