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ストームクラウドワルツ(2)

 クレアは、枕の端をちぎれそうなほど強くつかんだ。
 もし、デレク・バーナビーが潔白だったとしたら?
 ストームクラウドがイミテーションだと言ったのは、ピーターだ。パパは紳士らしく何も言わずにデレクにお金を貸していた。デレクがうちに頼りきっているのは明白だったから、悶着が起こるなんて考えもせず、売りにくい家宝を形ばかりの担保に取ったくらいのつもりでいた。
 主石が違う形にカットされて闇で売られたと言ったのも、ピーターだ。そもそも闇ってどこだ。おおっぴらでなく行われた取引の事実なんて、パパには確かめようもない。泥棒の前歴を白状してまでの言葉に、パパはすっかり目をくらまされた。
 枕にしがみついて、クレアは身じろぎもせずにいた。多分、調査の方法はいろいろある。警察に頼んでもいい。バーナビー家が盗難届けを取り下げたから、当時大した捜査はされなかった。パパが競馬の不正をあばくときやったように、探偵をたくさん雇ってもいい。とにかく、ロンドンの裏街道をあたるのだ。うちでストームクラウドを預かっていたちょうど同じ時期に、そっくりのチョーカーネックレスの注文を受けたという贋作職人が必ずいる。不純物の少ない水晶を、どんよりした青灰色の台座にセットして ―― 角度を変えて撮った詳細な写真が何枚かあれば、精巧なものが作れる ――
 調子はずれのワルツにのって、さまざまな考えがクレアの頭を駆けめぐった。
 すり替えるなら、なにもあの小窓から侵入した夜でなくていい。秘書として書斎に出入りしていたあいだに、いつだってスキがあっただろう。金庫の番号なんか、いつでも盗み見ることができたろう。そういうことができるからこそ、プロなのだ。
 あの有名な青ダイヤを現金化するのは難しいだろう。豪勢な口止め料として、贋作職人に渡すよりなかったかもしれない。でも、サイズ調整のために付け足された、留め金周辺の取り巻きダイヤなら、新しい時代のものだ。どこで処分したって足がつかない。南米、メキシコ、アメリカ …… あてのない逃亡中に、暮らしの足しにするにはもってこいだったろう。クレアは呼吸が詰まったようになって、鋭く声を吸い込んだ。
 カナダまで手紙を出して問い合わせたって、これまでと同じ、“名誉にかけてやっていない”という返答があるだけだろう。デレクの名誉といったって、誰も真剣には受け取らない。バーナビー子爵夫妻でさえ、心の中では息子がすり替えたと思っていたのだ。だからあんなにあっさり盗難届けを取り下げた。実の親にも信じてもらえなかった、どうしようもないデレク。イミテーションのことで潔白だったとしても、デレク・バーナビーはもともとお金にルーズな人で、家宝をこっそり担保にいれて、競馬では不正をやっていて、ダンスでは私を突き飛ばした。
 あのときに、ピーターは決心したのだろうか。私をデレクにはやれないと。
 枕の端をつかんでいたクレアの指が、震えながらゆるんだ。
 あの借用書だって、秘書であるピーターが作成したのだろう。家宝を持ち出して内緒の借金をするような、見下げ果てた子爵令息。たとえデレクがお金目当てでも、子爵夫人になれたら、私はそれなりに幸せだったかもしれない。けれど。
 クレアは少し体を転がして、あお向けになった。ゆっくりと息を吸って、吐いた。
 結局、みんな過ぎ去ったことだ。今さらほじくり返したところで、はっきりしたことは誰にも分からない。確かなことといえば、青ダイヤは過去のどの時点であるにせよ、闇市場に消えた、ということ。時間をどこへもどしてみたところでこの事実は動かせないし、そもそも時間はもどらないのだ。
 クレアは長いあいだ天井を見つめていた。
 修辞のついでに言うなら、私だってダイヤと同じだと思う。すでにまんまと盗み出されてしまった。もう、もどれない。泥棒の手で、違う形にカットされた。
 やがてクレアは、この考えがとても気に入ったと分かった。
「もう、もどれない ……
 ため息のようにつぶやくと、めまぐるしかった一日の疲労がどっと押し寄せ、クレアはあっという間に眠りに落ちた。
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