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コージーホットディッシュ(2)

「さあどうぞ。ちょうど客間があいとりますよ」
 リース氏もやってきて、男のスーツケースを持ってやる。
「この時間だと、だんだん落ち着いて話せる場所も少なくなってきて、お宅のソファーででも眠らせていただけないだろうかって、話していたんです」
 まとめてあったらしいきさつを、男は早口にまくしたてた。
「夕食はどこで?」
 リース夫人は楽しい外食の報告を期待して言ったが、クレアはふたりぶんのコートを客用の位置にかけながら「いえ」とか「ふにゃ」とか言った。
「実はずっと話しこんでいて、まだ何も」
 アリンガム氏が恥ずかしそうに言ったが、降参らしい態度が屈託ないので、リース夫妻は安心して襲いかかった。
「そりゃいけないわ」
「まだパイが残っとってよかった」
「ミス・モウブリーを空腹で寝かせるわけにはいきませんよ」
 やれ行けそれ行けと客を食卓へ押しやりながら、夫婦はそっと目を見交わした。女にごちそうもしてやれないような、貧乏な男なのだろうか。
 クレアが慌てて言った。
「私が言ったんです。にぎやかな場所には行きたくないって。それでこちらに ……
「頼りにしてくれたわけね。嬉しいこと」
 公共の場で知り合いに見られて、デート相手として記憶されては困るような男なのか? なら下宿にだって連れてこないはずでは? 目まぐるしく所見をまとめつつ、夫人は大きな皿を古めかしいガスレンジに入れた。
「すぐにあたため直しますよ」
「リースさんのコテージパイは絶品なの」
 椅子を引いてもらいながらクレアが言うと、アリンガム氏がニヤリとする。
「君は小さいパイをくすねては、ポケットに油染みを作ってたなあ」
「あーあ、ミセス・ギールグッドのキドニーパイ」
 昔馴染み特有の節回しを聞きつけ、リース夫人は台所から首を伸ばした。
「ミセス・ギールグッドって、昔お宅で雇っていたコックね?」
「そうですわ」
「ジャムの会社を作ったとかいう」
「マーマレードですわ …… 実をいうと、アリンガムさんも父の昔の雇い人なんです」
 語尾でわずかに目を落としたクレアの表情だけで、リース夫人はさあっといくつかの場面を思い浮かべることができた。ひとつ屋根の下育まれる思い。頑として首を横に振る父親。外国へ旅立つ男。
 しかし夫人は、鋭いところなど何もないような顔をして食器を回した。
「久しぶりなら、きっとお父さまもお喜びなさるわねえ」
「はあ」
 アリンガム氏はちょっと気まずそうに椅子の位置を直した。
「どこかに部屋を借りたら、まずは職さがしに出るつもりです。旦那さまに無沙汰のお詫びにあがるのは、それからにしようと」
 もちろん、無職のままでしゃあしゃあと会いに行けるわけはなかろう。リース夫人はきりりと口元を引きむすんだ。
「だったらしばらくうちの客間にいらっしゃいな」
「え、そんな」
「ぜひ、おいでなさい。しっかりしたお仕事を探すなら、住所が簡易宿泊所みたいなところではダメでしょう」
 あと少し叩いて彼に問題が見つからないようなら、ミス・モウブリーを部屋まで送っていくという栄誉に浴させてやってもかまわないかもしれない。間借り人の幸福に直結していると考えてよいこの男を全力で支援すると、リース夫人は心に誓った。
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