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コージーホットディッシュ(1)

「おや」
 リース氏は、気に入りのウイングチェアにふかぶかとおさまったまま、窓に目をこらした。
「あれは、ミス・モウブリーかな?」
 食堂で彼の細君が、ああと言って時計を見た。
「今日はちょっと遅かったわねえ。あの子にしちゃ珍しい」
 ま、気晴らしだって必要でしょうよと、リース夫人は片付けを続けた。リース氏は腕をのばして食後のコーヒーを脇に置いた。
「よく見えんかったが、誰かと一緒だったぞ。そのう、男のようにも見えたが」
「んま。どんな男?」
「帰っていくときに見えるだろう」
「それでも後ろ姿になるわ」
 リース夫人は悔しそうに言い、家具のあいだの最短距離をコマネズミのようにすり抜けた。
 窓の外には暗い前庭があり、玄関ポーチに近づくあたりで小道が見えなくなっている。降りだした雪に街路のガス灯はおぼろで、男は玄関ポーチの照明に背中を照らされながら立ち去っていくことになるはずだ。
「ま、人となりは着ているもののようすからだって分かりますからね」
 偶然窓ぎわにいた、という風を装い、壁のフレームを直したりなどしながらリース夫人は待ちかまえたが、女を送り届けて玄関で別れたはずの男は、なかなか前庭に姿を現さなかった。
「ちょっと、どういうことさ ……
 皆まで言わず、夫婦は顔を見合わせた。
「あの子だけはと思っていたのにねえ」
 いまいましげに見上げる天井からは、こそとも物音がしない。
「裏口からそっと連れ込んだんなら、まだご近所に噂が立たないうちに追い出してやれるんだが」
「とにかく、言ってこなけりゃ。他の間借り人へのしめしがつかない」
 息まきながら、リース夫人は窓をはなれた。
「あまりひどく叱らんでやれよ」
 リース氏が声をかけたとき、下宿の共用スペースと夫婦の住居部分をへだてているドアに、ひかえめなノックがあった。
「こんばんは。リースさん?」
 一瞬ぽかんとしたあと、夫人が飛びつくようにしてドアをあけると、果たしてそこにクレアが立っていた。雪粒を乗せた帽子がキラキラしている。
「ああ、ミス・モウブリー。降りだしたわねえ」
 ちらちらと暗いホールをうかがう。男の姿はない。これは、亭主に合図して、階上のようすを見に行かせる必要ありか ……
「入って入って。火にあたりなさい」
 クレアを室内に確保しようと夫人は一歩さがったが、
「あの、ちょっとお願いがあるんです」
 クレアはもじもじとドアの外にとどまった。
「古いお友だちなんですけど、急に外国から戻ってきて、まだ落ち着き先が決まっていないんです。もちろんホテルなんかどこだってありますけど ……
 数秒かかって、リース夫人はようやく相手の意図を理解した。理解したはいいが言葉が出ない。目はしがきいて機転がきく、“きかない”ものは家賃のツケだけという評判を誇る夫人としては、
「おやまあ」
 としかあいづちが打てない状況というのは、かなり恥ずべき事態であった。
「ご迷惑でしたら、別にいいんですわ」
 クレアが慌てた笑顔で戸口を離れようとし、リース夫人は飛び上がって引き止めた。
「迷惑なんてとんでもない。早く連れてらっしゃいな。寒いホールで待っておいでなの?」
「いきなりドアに立っていては、リースさんも断りづらいだろうからって」
「そういう慎みぶかい紳士をお通ししないなんてことありませんよう」
 クレアをホールへ押しだしながら、つい語尾がはねあがってしまう。“お友だち”が男性であることはまだ聞いていないはずだったかな勇み足、と思いながら待っていると、小柄な男がスーツケースを手にやってきた。
「はじめまして。突然すみません」
「いいえ、さあさあ」
 リース夫人はすばやく目を走らせ、アリンガムと名乗った男が、帽子とジャケットだけでなく、抱えたコートにも雪粒を乗せていることに、ひとりうなずいた。
 ひとまず及第。ミス・モウブリーが帽子しか濡らさずにすんだお礼ぐらい、してやってもいいでしょう。
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