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プノールンプルンのネズミ(1)

 荒野に、一軍が陣を構えていた。
 あたりはすでにプノールンプルン王の支配地域深く。西の遠景の果てに、大シバムの青い山並みがかすんでいる。
 シオレンカ砦での挙兵から、三月(みつき)が経とうとしている。伝道教会派信徒を中心とした離反兵士に自由傭兵を取り込み、じわじわと兵力を膨らませながら北の王都を窺いつつある、新興カルサレス勢力であった。


「ネズミかあ」
 カルサレス卿はため息とともにナイフを立て、肉片をずぶりと刺した。
 簡易軍装ながら質のよい革胴をつけ、黒髪を肩へと流した総大将は、マントの裾をくしゃくしゃと椅子にたくしこんで腰掛け、折りたたみ式の小さな卓を前に、もくもくと口を動かしていた。
 卿の背後で、控えていた兵士がわずかに身をかがめた。同じく革胴だけの軽装は、軍師ネグトレンである。
「閣下」
「うん」
「本日はウサギで」
 はてと振り返りかけて、カルサレス卿は皿に目を落とした。
「ああ。シチューの話じゃないよ……うわ、やめろ」
 顔をしかめ、あたふたと頭の上を払う。
「想像してしまった」
「ネズミのシチューを?」
「言うんじゃないっ……」
 言葉にされて、卿はますます苦悶した。
 軍師の方は至極まじめな報告口調である。
「閣下、地域によっては食用のものもあるらしく、なんでもかなりの大型だそうで」
 こう、と赤ん坊ほどの大きさを抱えてみせる。
「うえー、でかいな」
「珍種ゆえ、取り寄せるには少しかかりますが、御所望とあらば」
「いらんいらん」
「ツィー、クー」
 弓琴(きゅうきん)の単音が、長く尾を引いた。
 本陣の周囲では、兵士たちも交代で食事を取っている。広く開けた伝令路をとんがり帽子の弓琴弾きがぶらぶらしていて、指慣らしにけろりと音階をのぼり、また下りた。
「補給部隊の兵士などが申すには」
「うん」
「兵糧を積んだ荷馬車のスミで丸々太ったネズミを見つけることなど、日常茶飯事だそうで」
「うん」
「あれならいけるんじゃないかな」
「うん……あ?」
「ツィー、キュキュキュ」
「あ、あれをどうするというんだ、ネグトレン」
「キュイン、ララー」
 曲のさわりが鳴り、タメが入る。兵士のひとりが続きをせがむと、弓琴弾きはすらりと弓を立てた。
「臓物を抜いて丸焼き……、いやたっぷりの油でよく揚げれば、……うん」
 何かをつまみ、空想の刃物を構えたネグトレンは、こうさばいてこう、と空想のレシピを組み立てている。
「食うか、そんなもの」
「兵糧も無限ではありません。危急の際にはよく太らせたのを捕ってきて……」
「よせ……、その、シッポっぽくつまむのをよせ」
 卿は視界の端に片手を立て、前方だけ見つめた。
「ララー、ツィーラー」
 泣かせどころたっぷりの主題が始まった。ネグトレンは一歩退がり、両手を後ろ手に控えた。
「ですがそのへんのジリスなどより、よほど食べでもありましょうし」
「リス、リスが好きだ。シチューならリスがいい」
 自棄のようにうむうむとうなずく。弓琴弾きが応えてちょこんと片膝を折り、嘆き歌はますます哀調を帯びた。
「ああ、なにせネズミ算。放っておいてもなまじな家畜よりよく増えますから」
「よせって」
「閣下も塔の独房でご覧になったはず。あの繁殖力」
「はわ、覚えてる」
 卿が身をすくめ、曲がにわかにテンポを速めると、ネグトレンの弁舌も速い流れに乗った。
「石積みがちょうどいいのでしょうなあ、スキマだらけで」
「そうそう」
「寝床の陰にいるとおっしゃるのを、私が何匹片付けても切りがなかった」
「うん、その節はありがとう、じゃなくて」
「捕り罠いっぱい、ぎっしり捕れちまったこともあった。ありゃあ一家まるごとでしたか」
「あわわ、やめ」
 旋律はどこまでも明るく、出鱈目な鼻歌のように移調を重ねた。
「寒い時期は特に一箇所に固まっていて、密集歩兵陣も顔負けの」
「うわあ」
 曲がヤマ場に入った。ぐんと調子を上げた楽師は、複雑なフレーズをひと息でやってのけ、合い間合い間に弦をつまんでは巧みにはじく。同じ旋律が繰り返され、弓先が狂ったように上下して、横から打楽器奏者が加わり、しつこい連打が始まると、兵士たちから口々に歓声があがった。
「親玉らしきのを捕まえたときはすごかった。あえてお見せしなかったが」
「見なかった。見なかった」
「ほら、捕り罠ごと跳ね回って暴れたあれ」
「うあ、あ」
「そうシッポなど、太さにして大の男の親指ほども」
「やめろって、うるさいなあ!」
「ギッ、ギユウ」
 旋律がひしゃげ、あとは沈黙。
 卿が卓を叩きつけた音が遠く残響するなか、弓琴弾きは弓を振り上げたまま、小柄な太鼓奏者は太鼓を抱きしめ、食器を抱えた兵士たちも本陣を注視している。
「あ、違うんだよ。うるさいのはこっち。ネズミの話がね……」
「これはしたり、曲がお気に召しませなんだか」
 大声で言い、ネグトレンは首を斬る仕草で手刀を切った。ふたつのとんがり帽子が、するすると隊列に退がる。
「お許しください閣下。ああいうのが宮廷作法でありまして、曲を宴席の雰囲気にそれとなし添わせ、会話に花を」
 並べ立ててから、軍師は歯ぎしりするように付け加えた。
「機密報告でしょうが。皆にいちから語り聞かせんでよろしい」
「……お前、裏表すごいな」
「誰のせいだと」
「わかったわかった」
 卿はよいしょと座りなおした。
「あー、楽師は許す。静かな曲をやれ」
 主君然とした下命を受け、ネグトレンが楽師を促す。多少控えめに、弓琴の音が流れ始めた。
 卿はしばらく耳を傾けていたが、やがてカクンとうつむいた。
「台無しだ。久々の暖かい食事なのに」
 ナイフの先で恨めしげにかき回す。深皿にはトロリとした煮込みが盛られていた。
「ここしばらく、のんきにシチューを煮ているヒマなどなかったんだ。堅く焼いたパンやら、水でもどした干し肉ばかりで」
「お食事中も報告は続けてかまわぬとおっしゃったのは、閣下ですが」
 そらとぼける軍師を、卿はジロリと睨んだ。
「何でもいっしょくたに煮込むな。まず最初の報告を済ませろ」
「は」
 ネグトレンがきりりと立礼を取り、卿はナイフを取ってかじりついた。
「北の、ねるみ(ネズミ)王のふぁなし(話)だったな」
 もがもがと言ってから、卿はぶると頭を振った。
「大丈夫。これはウサギ、ウサギがぴょん」
 目をつぶって咀嚼し、「続けろ」と空中で指を回す。
 ネグトレンはまた低い声の報告に戻った。
――― というわけで北のおん方は、カルサレス陣営でのネズミ王呼ばわりに、たいそうご立腹とか」
 んう、と唸り声で答え、卿は咀嚼をやめた。ごくりと飲み込む。
「別にいいじゃないか、敵方の大将をどう呼んだって。ダシート王なんか、敵味方の別なくあちこちで『ケチ王』と揶揄されているだろう」
 ちょろちょろする斥候ネズミどもの親玉なんだから、ネズミの大将だ、と言って、卿はまたがぶりと肉に噛み付いた。
「それが……たまたま北の王は、お顔がちょっと、実際に似ておられるらしく」
「ネズミにか」
「は」
 卿は眉間にシワを寄せて考え込んだ。口一杯のままネグトレンを振り返る。
「以前から陰でネズミ王と呼ばれていたのかな? あまりに似ていて?」
「いえ。しかし、一度言われてしまえばもう似て見えて仕方ない、どうしてくれる、と」
「自分で認めてしまってないか」
「砦を盗んだ泥棒貴族に容貌をあざけられていると、それはそれは憤慨のご様子」
「んんー」
 卿はよく噛んで味わっていたが、ひょいと肩をすくめた。
「そうこだわりがあってネズミ呼ばわりしているわけじゃない。無駄に挑発することもなかろうし、やめてもいいぞ」
「そうですか」
「これからは普通に呼ぶことにするよ。プノールン、ップフ」
 言い終えないうちに、卿は皿の上に笑いくずれていた。
「……これだもの」
 呟いて、ネグトレンは冷ややかに見下ろした。すまん、すまんと言いながら、卿は苦しげに身をよじっている。
 ネグトレンは主の襟元にぐっとかがみこんだ。
「反乱の首領が、命運を共にと駆けつけてくれた者たちの前で、娘っ子みたいにくつくつ笑い転げているわけにいきますか」
「そう、なんだ、けど」
 息を詰まらせながら言い、卿はさらに突っ伏した。
「ダメなんだ。特に、軍略会議なんて真面目な席であれが連呼された日にゃ……もう笑えて笑えて」
「閣下」
「うん。分かってる」
 陣の真ん中で総大将が腹を押さえて苦しみ始めれば、兵士たちにとってこれほどギョッとさせられる食事風景もない。まだわずかに忍び笑いながら、卿は姿勢を正した。
「ま、よいでしょう。名を呼ばずともどうにかなっていますし」
 ネグトレンはため息まじりに言ったが、実際その通りだった。カルサレス陣営では、国も王も、あまりプノールンプルンという正式名称では呼ばれていない。
 軍議や下知においては、長い名前をモタモタ呼んでいては作戦行動をさまたげるとして、「北の御仁」だの、「北部宮廷」だのに適宜言い換えているし、鬨(とき)の声は「信徒を救え」に統一させている。余人には計り知れないカルサレス卿の個人的な笑いのツボに配慮したというだけではない。まだもやもやと迷いが吹っ切れていない兵士も、部隊内には多いのだ。打倒プノールンプルン、などと叫ばせては、複雑な感情を逆なですることにもなりかねないのだった。
 それにしてもと、カルサレス卿は小首をかしげた。
「騎士のなかには、王の顔を直接見知っている者もいるのだよな。彼らがふざけてそんな呼称を使ったことは?」
「いえ。北上するにつれ、駆け去る斥候、『ネズミ』の後ろ姿を見ることが増えて来た、という報告の流れ上、軍議の席で閣下がたまさか口にされただけと記憶しております」
「それが、笑えるあだ名として皆のあいだに定着している様子もないんだな?」
「御意」
 卿は肉の塊を悲しげに検分してから、口いっぱいに頬ばった。
「じゃ、我々の軍議の内容は、かの王の耳に、直接届いているってことになるんだな?」
 ネグトレンは答えず、卿はナイフの先をコツンと落とした。
「ネズミかあ……」
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