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クエイサ尼僧長の教会日誌(2)
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「大王さま、こんなところでお目にかかるとは、まあま」
 くく、とかみ殺したが抑えきれず、尼僧長はコロコロと笑い始めた。
「あの子たちの罪状から“偽りを述べし罪”を除いておいてやらねば、ほほほ」
「クエイサさま?」
「ああおかし、ほほ」
 小刻みに揺れる僧服を、子供は不安そうに引っぱった。
「あのう、これは罪深い異教の模様だったのでしょうか? 使ってはいけませんか?」
 尼僧長は目じりをぬぐいながら片手を振った。
「異教と言えるのかしらね。古代文字ですもの。この意匠はわたくしたちの神が現れる以前のものですよ」
「神が現れる以前 ……
 それを考えるのはいけないことのような気がして、子供は黙り込んだ。
「図柄の植物や動物は、ここユワクでは東方の風物として紹介されているものに近いわ」
 上機嫌の尼僧長はひとり言のようにつぶやいている。
「一説に、かのお方の生誕の地は東方とも言われる。東方、漆黒の髪の人々の住む地 …… ふうん。なるほどねえ。ふうん」
「クエイサさま、この模様を使ってはいけないのでしょうか?」
 仕方ないので、子供は関心事だけを訊ねた。
「そうね」
 尼僧長は迷うようにひと呼吸おいた。
「いいでしょう。でも」
 冊子の硬い表紙にひらりとページを重ね、子供から取り上げていた小刀をかまえる。
「あっ」
 一気に丸く刃を滑らせた。全周には至らずかまえ直し、切り残しを丁寧になぞる。
「ああ ……
 切り抜かれた丸い紙を、子供はため息とともに受け取った。古代文字のある外側の円周部分が、きれいに断ち切られている。
「構図を見習う程度になさい。要素をそのまま取り入れないよう気をつけて。練習が済んだら、この紙は燃やすように」
…… はい」
 子供は唇をかみしめ、図柄の端を見つめた。精緻な蔦(つた)模様は文字のところにも絡みついていたのに、小刀がすっかり切り取ってしまっている。
 尼僧長は小さな肩をぽんと叩いた。
「よそからの拝借ではない、伝道教会独自のものに工夫するのよ。お前の腕でね」
「はぁい」
「こないだの花菱模様はよかったわ。見た人をハッとさせる」
「はい!」
「お行きなさい。食料庫で皆、出立の準備にかかっているから、荷造りを手伝って」
「はーい」
 子供は元気を取り戻し、いたずらっぽく笑った。
「明日からは東へ向かって、砦をやっつけて回られるのですね」
「“やっつけ”たりなぞしません。信徒たちを救うのですよ」
「はーい」
 弾むように駆け去りながら、また手の中の丸い図柄を眺めている。
「前を見て歩く!」
 元気な姿が角を曲がるのを見送り、尼僧長は片手を腰にあてた。
「さて」
 また笑い出しそうになりながら、尼僧長は丸穴の開いた紙切れに目を落とした。
「明日も大王さまご一行と各地を経巡(へめぐ)るわけだけど。どうしたものでしょうね」
 周囲には誰もいなかったが、尼僧長は声に出して話し、天に同意を求めるかのように目を上げた。
「カルサレス卿のために働くことは、自分にとって罪ほろぼしだと言ったあの言葉を、まあ信じてやるとして」
 尼僧長は微笑みながら、少年だったネグトレンのすねた目つきを思い返していた。ぼろを引っかけただけのやせた肩をすくめ、山越え道を案内してやっていた客が嫌な野郎だったから金袋をくすねたうえ山道でまいてやったと、悪びれもせず言ったものだ。
「たやすく達成できてしまうなら贖罪にはなりません」
 穴開きの紙をページにはさみ、パンと閉じる。
「こんなものの助けなど、必要ないわねえ」
 小さな書物は炎の中に投げられた。


(了)
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お付き合いありがとうございました!


第一話、冒頭の一文は、実際にあることわざです。フランス語、スペイン語、ペルシャ語圏の各地で、同じ内容のことわざがあるそうです。北村孝一さんのホームページ「ことわざ酒房」で紹介されています。
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