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赤毛姫の憂鬱(1)

 晩秋の空はよく晴れて、砂浜には風が吹きわたっていた。
 海からの風は容赦なく顔に吹きつけたが、潮の引いた浜は固く、舞い上がる砂粒に悩まされることはない。
 長く垂らした髪をびゅうびゅうとなぶらせながら、潮っぽい風を吸い込むと、舌の裏に、重く、甘ったるいような、不思議なあと味が残った。
 潮風は甘い。
 ベレンツバイの奥さまがいらっしゃって初めて知ったことだ。
「ベレンツバイの奥さま」
 呼びかけた声は、風鳴りにかき消されてしまった気がする。
「ベレンツバイの奥さま!」
 もう一度声をかけると、ひとかたまりになった騎馬の人々が一斉に振り返った。そのなかのひとり、黒い鹿毛(かげ)にまたがった貴婦人が、優雅なしぐさで馬首をめぐらせ、こちらへ馬を寄せてくる。
「レディ・カタシア」
 にっこりと応じた奥さまに続き、皆がこちらへやってきたので、私は作法上全員に言葉をかけた。
「ベレンツバイの奥さまに、また駈歩(かけあし)を教わろうと思うの」
「もちろんですわ、レディ・カタシア。では、向こうまで」
「はい」
 私は慎重にうなずき、そろそろと手綱を引いた。私を乗せたぶち馬の顔を、砂浜の平らなほうへ向ける。
 広い場所へ向かうと分かって嬉しいのか、ぶち馬がはずむような速度で歩きだした。私は「まだ駈けさせない」という意思をこめ、ぐいと手綱をしぼった。
「そう、指示は毅然と」
 奥さまも私に続いた。落ち着いた常歩(なみあし)で伴走する。
「重心を馬に伝えて。お上手ですわ」
 私に向かって声をかけながら、奥さまは取り巻きたちのふくらんだ隊列にちょっと眉をひそめた。
「レディ・カタシアの馬の気が散っては危ないですから、皆さまはおいでにならずに願えます?」
「そうですな」
「それがいい」
 ほっとしたような声が、背後に遠ざかる。
 ゆっくりと砂浜をくだり、傾斜がゆるやかになったのを確認してから、思い切ってあぶみを入れると、ぶち馬は解きはなたれたように走りだした。

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