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カルサレス卿の獄中記(補記)
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(「上代戦記」辺境の三の巻 欄外補記)


  ――― 古きカーサル大王は、成人した王子それぞれに広大な王国各地の地方代官の職を与えた。大王の勢力が衰退したのちも彼らの一部は辺境に残った。現在のカースル、デカッサリア、カルサレス、キアルサルグ、トランカーサルなどの地方氏族はその末裔であろうとされる。ノイスガ公六年、トベ記す。


  ――― 上記カルサレス氏について追補記。カルサレス。シバムの西、カルサレス平原の黒髪の一族。リオノ・カルサレスはのちのユワク皇帝。別紙にて詳細。



(添付別紙)


  ――― リオノ・カルサレス。プノールンプルン・ダシート戦役に参加し、一時は虜囚の憂き目に遭う。身柄を拘束されていた砦の指揮官を計略にかけ、逃走、挙兵。資金や宗教における協力者を巧みに募(つの)り、敵兵の寝返りを誘う人身掌握術、ならびに無用な殺戮を流麗に避けて通るその手腕から、「無血開城の雄」、「丸腰王」と称えられた。しかし同時に「詐欺王」、「ペテン王」とも呼ばれる。
 北方プノールンプルン王を廃位し幽閉。北海沿岸地帯の商人ギルドによる銀行経営を保護し、現金に頼らない為替決済による交易の発展に寄与する。
 南方の大国ダシートとの婚姻ののち、ダシートの王位継承権を主張。プノールンプルンとの長期の戦乱で疲弊していたダシート宮廷を、半ば強引に買収し、全ユワク統一を果たす。このとき挙兵からわずか六年。
 軍師とした同郷ベレンツバイ家当主への信任あつく、常に食事の毒見を任せた。ために厨房を一手に仕切った軍師ベレンツバイは「ソースパンの番人」の異名も持つ。
 敬虔な伝道教会派信徒。辺境にも知識の光をと、荒野の街に古今の名著を多数寄贈した。筆者はかつていちど街道で行軍を見物したが、兜の面頬(めんぽう)を深く下ろした武人が、筆者を見るなり鞍からずり落ちた。そのときの筆者は買い求めた古書を山のように抱えており、辺鄙な場所にもかような学究の徒がいることに驚いたのであると、かの武人が周りの者に話すのが聞こえた。あとで人に聞くと、それがくだんのベレンツバイ軍師であった。そのすぐあと、筆者の住まう荒野の街に皇帝の名で書物の寄贈があり、そこが筆者永住の地となった。元来、華やかな場での栄達というものは好まず、書物があれば幸せという質(たち)なのだ。火事のとき、最後まで書庫を守ろうとして危うく死に掛けたこともある。


 あつかましく私的な雑感ばかり述べてしまった。筆者は事情があって若き時代の皇帝と知遇を得たこともあるのだが、匿名補記の精神に沿わないため、詳細には言及しない。
 歴史研究において、記述者は特定の個人であることをやめねばならぬ。奥ゆかしき先人トベ師にならい、筆者も署名には氏族名を冠さずにおこう。


 ユワク統一暦十八年、荒野の隠居者、スデンデンテ記す。
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