「閣下。私を閣下の正式の騎士として、召し抱えていただきたいのです」
閣下ときた。言葉つきもしゃっちょこばって、早くも騎士を気取るつもりか。私が黙っていると、我慢できずに姫が進み出た。
「歩兵にすぎない彼との結婚なんて、いくら両親が私に甘いといっても、とても許してもらえませんわ。でも全ユワクを統べることになるお方の宮廷で、何かの地位をいただくことができれば。参謀とか、近衛とか …… 」
つまり私を田舎の貧乏貴族から引っぱり上げるついでに、愛しいネグトレンの身分を底上げしようというわけだ。
「それに私、クエイサさまに、当然うちの両親も改宗しますとお約束してしまいましたの。帰ったらどんなに叱られるか」
「姫 …… 」
「でもユワク統一という崇高な目的があれば、きっと両親を説得できますわ」
人はこんな理由で世界制覇の野望を持つのか。私は戦つづきの日々を捨て信仰の道に入ったというクエイサ尼僧長の父君の気持ちが、ちょっと分かった気がした。
「お願いですわ、若」
命の恩人だと言わされたばかりだ。断れるはずがない。断れるはずがないと彼女も思っている。思っていて“お願いですわ”などと言うのだ。ああ。
「よいだろう」
「トレン! よかったっ」
「ありがたき幸せ」
私の宮廷に仕えたいというのだ。つまりこやつの生殺与奪は私が握る。何なりと好きに片付け放題ではないか。
どこかの辺境に長い戦に行かせたり、難攻不落の砦を落として来いと無理難題をふっかけたりするのだ。不老長寿の薬が欲しいなどと言って、世界の果てへ送り出してやろうか。
私はおよそ暴君と呼ばれたあらゆる先人たちの偉業に思いをはせ、悪虐な気分にしばし酔った。
ふと見ると、未来のユワク王の御前だというのにネグトレンはうろうろとそこらに屈み、菜園の畝(うね)から小っちゃな葉っぱをつまみあげては腰の袋にしまっている。
「おい、何をしてる」
「今日の夕めしのために、ちょっと香草をね」
「まあ、あなたが料理をするのっ」
さっきから姫は幸せが勢い余るのか、何か言うたびにぴょんと跳ねる。ニヤけ男とぴょんぴょん姫で、見ていられない。
「ああ。肉の扱いだけは、あのへんの女どもに任せておけないからさ」
――― まさか。私の舌の上で、深い旨みと絡み合う精妙な香り、えもいわれぬあの味が蘇った。
「私が牢番のときはいつも夕食にお出しした。閣下はとても気に入ってくださったんだよ。そうですよね? 旦那」
ネグトレンはこちらに向けて、つまんだ香草の葉っぱをくるりと回した。悪魔の笑いだ。
「悪魔のソースだ」
我知らずつぶやいていた。姫がまあとため息をつく。
「そんなに美味しいの。トレン、うちの料理人にもレシピを教えて?」
「うーん、ソースに香草を効かすんだが、煮詰め具合の加減が …… いや、教えられるもんじゃない」
「もう。ケチッ」
「いつでも作ってあげよう。食べたいときに」
ネグトレンは甘やかすような笑顔をこちらにも向けた。
「旦那にも。もちろん」
愛想よく細めた目の奥には、いつもの人を喰ったような笑いが灯っている。この男は一生私の牢番をつとめることになるのかもしれない。私は一生この男の言うなり、この悪魔の囚人というわけだ。
「うう」
私はのどの奥でうなった。悪魔のソースを持ったまま、この男が世界の果てへ向けて旅立つとしたら、私はそのあとをフラフラとついて行ってしまうかもしれない。
「いつなりとお申し付けを。わが君」
急に芝居がかって、悪魔が膝まづいた。ふわりと腕を振り、マントを打ち払う。
――― 香草が香った。
「ネグトレン、それは嬉しいなあ」
それ以上何か言うと口から涎(よだれ)が溢れそうになり、私は慌てて口をつぐんだ。
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カルサレス卿の獄中記 おわり