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カルサレス卿の獄中記(26)
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「旦那のおっしゃった通りだったんで」
「何がだ?」
 噛み付くような私の剣幕にも、ふたりは一向おかまいなし。
 ネグトレンが姫に視線を送る。
「いつだったか私のことを、お前はベレンツバイの姫とウマが合いそうだとおっしゃったんだよ」
「若ったら! 私たちを引き合わせるつもりでいらしたの?」
 姫は髪をぴしゃぴしゃ振りながら私とネグトレンを見比べる。
「お人が悪い、若ったら!」
 このはしゃぎよう。あなたはかつて私に遠まわしな求婚をなさった、あの同じ女性ですよね?
「本当に私たち、似た者同士でしたの」
 姫はうっとり言って首をかしげた。
「若を見ているとなんだか放っておけなくて、どうしても助けて差し上げたくなるんだって言いましたら、彼も同じだって」
 私をダシに盛り上がってくれたわけか。面白くもない。
「私、領民を武装させてシオレンカを襲撃しようとしていたのですけど」
「ひ、姫」
「そこへトレ …… ネグトレンが、もっといい方法があるって。カーサル大王のことや伝道教会派の教義のことなんかを教えてくれましたの」
「そうですか」
 ネグトレンに礼を言うべきなのかも知れない。いや言うべきだ。この無鉄砲姫に率いられた武装羊飼い団の末路など、想像するだに恐ろしい。家令が手紙でベレンツバイの様子に一切触れなかったわけだ。
「おりよく彼のほうでも、砦を発つ前に改宗の手はずだけ整えていて、あとはカルサレスで有志を募ろうと思っていたのですって」
 彼らに運命的なものがあると、認めるべきなのかも知れない。ふたり同時に私を救い出そうと思ってくれたのだ。だが、
「運命的なものを感じましたわ」
「それ先に言われてしまうと、ふてくされるしかないんですが」
 ネグトレンの頬がぴくと震えた。笑いをこらえている。
 女を取られ、そのうえ爆笑されてたまるか。私はネグトレンをにらみつけた。
「お前は何だ、ネグトレン。運命の元締めである私に、ひと言の相談もなしか」
 眉を寄せ、怨念を込める。先ほど尼僧長の眼光にじりじりと灼(や)かれた効果が、少しでも身についてはいないか。
「旦那は即興芝居のほうが、より真実味をお出しんなれると踏みましたんで」
 付け焼刃の眼力ははね返された。ネグトレンとて同じく尼僧長の眼光を浴び、そのときは私よりも済ました顔をしていたのだ。
「だって、若。お知らせしようにも手紙は検閲されてしまうというし」
 姫が口をとがらせている。
「まあ …… そうですが。ネグトレン、お前は違うだろう。いつでも私に話せたはずだ。いつから計画を暖めていた」
「それはもう、ご尊顔を拝したそのときから」
「トレン、真面目に」
 姫が肘を突付く。この男がまともにしゃべるときほどふざけていることは、すでに把握しているようだ。
「いえね。旦那のお話を聞くにつれ、こりゃあ筋金入りのお人好しだ、悪い知恵を貸してやる人間が必要だって、思いましたんですよ」
「お人好しね。間抜けな領主だと言いたいのだろう」
「いや、旦那だけでなく、カルサレスの人々みんなでさ」
「土地がらまとめてくさすのか」
 受け答えがついぶっきらぼうになる。ネグトレンは、ふふと含み笑った。
「だってそうでしょうが。ベレンツバイが守る河の関門には、領主である旦那も手を出せないという。では金があるかというと、領地内のどの氏族とも、財産じゃどんぐりの背比べだ」
 話しながら、あちらこちらと手のひらを返し、最後に肩をすくめた。
「権威も財力もさっぱり弱っちまった領主なんざ、とうに廃されてたっておかしくない乱世ですぜ。なのにカルサレスじゃ、旦那も旦那なら、領民も領民」
 やっぱり、平原まとめてうすのろの汚名を着せられている気がする。
 姫が私とネグトレンをオロオロと見比べた。
「彼、こんなに領民に慕われている領主は知らないって。カルサレスの地がとても好きになったと言ってくれましたのよ」
「こやつが好きになったのは、カルサレスでも特に限られた場所だけでしょう」
「え? どこ?」
 河の合流点の、関門のあたりの。すらりとした黒髪の乙女の住むあたり。“べべんつばいの姫”としか言えなかったころの、まだ幼かった私もよく歩いたあたりだ。
「あの、若」
 姫が不安げに私の出方を待っている。“領民の氏族名もよく発音できずに、立派な領主さまになれますか”と私を叱りつけた、勝ち気な少女の面影はもうない。
「実は、お願いがありますの」
 おずおずと進み出た姫を、
「ハーミナ、俺から申し上げるから」
 ネグトレンがやんわりと制した。
 驚いたことに、姫は“はい”などと言って、しおらしく引き下がった。
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