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カルサレス卿の獄中記(25)
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「おっしゃる通り、全面戦争はまずい」
 ネグトレンは平手で木の柵を叩いた。
「そうなる前に外交交渉でさ」
「外交?」
 ひねりもなくおうむ返しする私に、ネグトレンも子供の返事みたいにうなずいた。
「北ユワクを束ね、カルサレスから河でつながる北海の富と合わせれば、まずはひとしなみの勢力になっている。放っておいてもダシートのほうから国交を申し出て来ますって」
「うーん」
 私は首をひねった。もう少し何か、思わずあっと声が出るようなものを期待していたのだ。
「そんな即席のナニで、歴史ある大国ダシートに対抗できるとも思えないが」
「心配ご無用。力はあるし金もある。あと入り用なのは、ちょっとした看板にできるような、血筋でしょうな」
「カーサル大王か?」
「いや、大王には休んでていただきましょう。秘訣を言いますとね」
 とっておきの掘り出し物、お客さんは運がいい。ガッコの商人も同じ呼吸で声をひそめたものだ。
「大王についちゃ、“なんでも敵はカーサル大王の末裔らしい”と噂が流れる程度にしか使いません。出典もあやふやな傍説が頼りなんだ。公式の場では、こっちからは肯定も否定もしないのがいい。ちゃんと調べられてシッポが出たりしては逆効果だから」
「じゃあどうする」
「高貴な血筋との縁組でさ。旦那はせっかく独身なんだしね」
 楽しそうに柵にもたれかかり、いやらしく顎をさする。
「中央でも南のほうをあたって、由緒正しきお姫さまを探しましょうや。湖沼地帯あたりがいいかな」
 それはいかん、ベレンツバイの姫をないがしろにすることはできない。だが、
「それはいかん」
 言いかけた私の声に、
「いいですわね」
 取りすました声が重なった。見ると姫は深々とうなずいている。
「湖沼地帯なら古い家柄が多いと聞きますわ」
 姫まで湖沼地帯を推(お)している。一体どうして、そんな遠くまで妻を探しに行かねばならんのだ。
「姫。私はもっと近場でいいのですが」
「いいえ、若。ダシートも小さくなってキャンって言うしかないような、すごい家柄と縁組しましょう」
 決意みなぎる表情は、私を戦場へ送り出したときと同じだ。同じなのだが、言ってることが正反対なのはどうしてだ。
「若の身代金を払って欲しいと頼んだとき、あのケチ王ったら、“戦に遅れて現れた騎士のことなど知らん、そちらで勝手にやってくれ”と、こうでしたのよ」
「はあ」
 昂然と頭をそびやかす。束ねた髪が黒馬の尾のようにしなった。
「私、では勝手にいたしますと申しました」
「そんな手紙を、ダシート宮廷に送りつけたのですか?」
「あの、いいえ。口で言いましたのよ。ダシートからの手紙を読みながら、うちの者にね」
 目に浮かぶようだ。怒りに燃えながらカルサレスの皆を集めて一席ぶっているところへ、ネグトレンが現れて知恵を貸したというわけか。
「絶対に許しませんわ。田舎者と侮ったことを後悔させてやる」
 これは …… ネグトレンが持ちかけた計画には、ダシート攻略までが最初からおり込み済みだったということか。おかげで姫がいよいよ奮い立ち、こうして私が救い出されたわけだが、これはあまりにけしかけすぎだ。
「いっそダシートと婚姻してしまうのはどうかしら」
 姫は手の甲を唇に押し付け、じっと考え込んでいる。気に入りの馬の交配を思案しているときと同じ、真剣な顔つきだ。どうしてくれる、ネグトレン。
「なるほど。婚姻による外交強化は国の礎(いしずえ)だ」
 煽るな、ネグトレン。彼女は勢いが付くと止まらないんだ。
「若。ケチ王が恐れをなして、うちから嫁をもらってくれと頼んで来るぐらい、大きな勢力になってやりましょうよ」
「あの」
 返事も待たず、姫は一歩さがって首をかしげ、何かの構図を測っている。
「ダシートの女性に金髪のかたがいるといいわねえ。肖像画にふたり並ぶと映える」
「旦那は金髪より赤毛がお好みでしたね」
 私はウッと息を飲んだ。それを言うのはネグトレン、男の仁義に反するぞ。だが、
「まあ、知らなかったわ」
 姫は、さして残念そうでもなく自分の髪をなでた。
「若は私の初恋でしたのよ」
 話が見えない。自分は側室でいい、とか? しかし“初恋”には過去形がくっついている。
 姫がチラと横目を上げた。
「お話してくださった?」
「いや、まだなんだ」
「もう。トレーン」
 トレン? こんな鼻にかかった声で彼女が呼ぶのは、そんな名の仔猫か何かであるはずだ。私は小動物を期待して草むらを見た。
 願いもむなしく、ネグトレンが私の視界を横切り、彼女の手を取った。
「ハーミナ」
 ハーミナ? なんだそれは。私だって敬称つきの氏族名でしか呼んだことがないのだぞ。それに彼女の名はハーミナではない。氏族名でしか呼ばなかったからあんまり馴染みがないが、確かヨルヘル …… ヨルヘルミナ。
「あっ」
 思わず声が出てしまった。畜生、ネグトレン。我が姫の名を、気安く後ろ半分だけに略しおった。
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