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カルサレス卿の獄中記(19)
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 私はなんとか吹き出さず、後の数刻を乗り切った。ざっと以下のような次第だ。


(隊)=隊長 :「やはり、これは別人か。ああ」
(副)=副官 :「これだけの証人がいれば、確かでございましょう。あああ」
(隊)     :「泣き言を言っているヒマはない、伝令だ。急ぎ本陣に報告を」
(ネ)=ネグトレン :「あのう、伝令なぞに任せていいんでしょうかね?」
(隊)(副) :「何がだ」
(ネ) :「つまるところ、これは由緒ある大貴族の殺害ですよね? これで一番得をするのは誰かと考えると、当主のいなくなったカルサレス所領から、何食わぬ顔で財産を接収できる、主君の ……
(副) :「な、なんと! これはすべてダシートの陰謀だというのか!」
(ネ) :「昔の権力者同士の逸話なんかであるでしょう。邪魔になった自軍の武将を、山道にまぎれて始末させる …… 歴史にはうといのですが」
(隊) :「むう、“テネイラ宮廷史”、暗黒時代の章だ。だとすればこの男は、ダシートに雇われた暗殺者ということになるぞ」
(ネ) :「なんですって? ああ、頭がこんがらがって参りました」
(副) :「無理もない。隊長、こんな高度な読みを、伝令ごときがきちんと王にお伝えできるかどうか」
(隊) :「では報告は詳しく書状にしたためて、“テネイラ宮廷史”からの引用も添えて」
(ネ) :「いや、知能の足りない武人たちには逆効果ですよ。字数が多ければ多いほど、理解できないことに腹を立てる」
(副) :「そうそう。王の側近たちは自分たちの学のないのをひがんで、日ごろから隊長どのの博識をさげすんでいるふしがありますぞ」
(ネ) :「王のご決断が素早けりゃあ、ダシートが接収するつもりでいるカルサレスの富を、横からいただくことだってできるかも知れないのになあ …… はあふ」
(副) :「隊長! ここはおん自ら参じて」
(隊) :「ふむ。陰謀の絵解きができるのは、まあ俺ぐらいのものだろうな」
(副) :「碩学の武人に、いよいよ栄達の道がひらけるのですな!」
(ネ) :「そのあいだに我々が、あの野郎に泥を吐かせておきます。ええ、魂抜きのうつろな体も尋問の用には足りましょう」
(隊) :「じゃ、そっちは頼んだぞ」
(副) :「お供します! イウォリ隊長のご立身に立ち合いたい者は続け!」
  ――― 隊長・副官以下、取り巻き数人が退場。


 今はすっかり日が傾いていた。私は塔の窓辺ではなく、兵舎の石段にしゃがんでいた。
「旦那」
 かたわらにはネグトレンが立っていて、いつものようにだらしなく壁にもたれている。
「そんな石段で、お寒かないんですかね?」
「地べたが嬉しいんだ」
 ぷっと笑う声が聞こえたが、構いはしない。優しいそよ風が吹いていく。独房のすきま風とは違って心地よい。
 塔からは見えなかった一角に、木の柵で囲んだ菜園があった。少し離れた向こうには厩舎。私は平原の羊のように鼻先を天に向け、土と草の香りを胸いっぱい吸い込んだ。
 あかね色の中庭に首を巡らせる。と、こちらへ歩いて来るすらりとした姿が見えた。
「こちらでしたの」
 ベレンツバイの姫は、長い黒髪をばっさり切り落としていた。背の半ばあたりまでになった髪を平民の少女のようにきりりと結わえている。
 その痛々しい姿を見るにつけ、私の胸はきゅっと締めつけられた。以前の彼女は、太く編んだ髪を頭の周りにめぐらせ、漆黒の冠を戴いているように見えたものだ。
「姫、お目の痛みはどうです」
 私は立ち上がって姫を迎えた。ネグトレンが静かに数歩さがった。
「もうすっかり平気ですわ」
 若さま若さまと皆でおいおい声を合わせたあの涙は、演技ではなかったのだそうだ。
 紡ぐ前の羊毛をよく梳(す)きこんだ手作りのかつらは、淡く黄味がかった白い色をしている。眉やまつ毛も同じ色でなければおかしいと、こだわり者が言い出したのが砦に入る直前。そこで鞍ずれ防止の白粉を皆の顔にはたきまくったところ、涙が出て仕方なかったのだという。
「自慢の口ひげをそり落とすのが嫌で、粉で固めた者たちはもっと大変だったようですの。泣けば泣くほど鼻水が粉を流して」
 こう、二本の筋が、とあえぎ始めるともう止まらない。この人がこんなに笑う人だとは知らなかった。
 笑い声が中庭に響き、夕景にキラキラと光が増すようだ。
「あなたは、自慢の髪を惜しまなかったね」
 きつく編んでかつらの中に押し込んだが隠しきれず、頭が不自然にデコボコして見えたので、少しでも疑いを招かないよう切ったというのだ。
 ベレンツバイの姫は照れくさそうに笑いをおさめ、束ねた髪に指をすべらせた。
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