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カルサレス卿の獄中記(17)
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 ネグトレンに表情がない。
 軽薄な顔だちが剣をかまえてこうも冷酷に見えるとは知らなかった。
「ハナから人をたばかってやがったな。気の毒な貴族さまと思って親切にしてやったのに ……
 私は這いずって逃げた。
 即席の祭壇にすがる。と思ったら布の下からのぞくのは頑丈な婦人靴だった。
「す、すいません」
 裾をめくられても動じない二本の足はガタつく机より安定がよく、私が僧服の後ろにうずくまったので、ネグトレンは舌打ちして剣先をはずした。
「そんな …… 大貴族が、私の手柄が」
 消え入るような声は隊長どのだ。聖キエトにも負けない泣きべそ顔が、私をのぞきこんだ。
「どうなのだ。お前は、カルサレス卿なのか、行商人なのか?」
 人が言葉を発せられないほど混乱しているときに、二種類の質問を同時にぶつけないでほしい。私は末尾の質問に反応してぶるぶると首を横に振り、いや問われた順番から言って先に肯定だと思い直し、コクコクと縦に振った。
 隊長はもどかしげに身をよじった。
「どっちなのだ。書き取りの上手い貴族か、すりかわった偽者か。おお …… 本物の卿をお前は、殺してしまったのか?」
 自分で言った言葉にふらりとよろける。
「隊長」
 巨体をかばって進み出たネグトレンは、首の縦横が定まらない私に吠えかかった。
「答えろ! 卿を殺したのか!」
 ヒッと声が出て飛び上がった私は、尼僧長の頼もしい背中にしっかり張り付いた。
「ご遺体をどこへ隠した! それともどこかへ閉じ込めてきただけか!」
 ぶるぶる、コクコク。
「山のどっちがわだ! 谷か! 峰か!」
 ぶるぶる、コクコク。
「とにかくそこを離れろ! クエイサさまの背後から、こちらへ出て来いというのだ!」
 こっちへ来いと剣を振り回して怒鳴る奴がもしいたら、それはもう全力で出て行かないに限る。私はいよいよ小柄な背中にしがみついた。
「聖職者の背後は聖域と同じだ。そんなところへ逃げ込んで罪を免れようとは、なんと卑怯な奴」
「あの、ちょっと」
 悲憤と罵倒を吐き出し続けるネグトレンに終始押しのけられているのは、ひょろひょろの副官だ。首を突っ込みたいが馬体が軽く、当たり負けしている。
「見えない …… どうなってます、隊長」
「どうって …… クエイサどの、どうかそやつをこちらへ引き渡してはいただけまいか」
 イウォリ隊長は泣きべそ顔で両手を広げたが、懇願の表情は聖キエトのように可愛らしくはなかった。
「まだ入信の儀式の途中です。わたくしはこのかたの魂を預けられたままですから」
「ふぬう、ではさっさと片付けて魂でも何でも、あ ……
 隊長が息を飲む。あたりの空気が一気に張り詰めた。
「今、何と言われた。兄弟スデンデンテ」
  ――― 尼僧どのこそ、何と言われた。デンデン?
「は、これは失礼な物言いを ……
 隊長が縮こまっている。今の珍妙な擬音が、イウォリ隊長の名だというのか。ダメだ。事態を把握するまでは、笑っちゃダメだ。私はしがみつく手に力を込めた。
「ご安心なさい」
 私の手に、尼僧長の暖かい手が重ねられた。
「魂を宙ぶらりんにしたまま、あなたを引き渡しはいたしませんよ」
「クエイサどの! 改宗などこやつの方便ですぞ!」
「控えなさい」
 鞭のような声がその場を打った。尼僧長は、居並ぶ武人たちをにらみ据えた。
「すべての儀式を預かる身として、教会にすがると言ったこのかたの言葉を、むげにはできません」
 兵士たちは直立して聞いている。
「このかたが罪びとであるのなら、わたくしはその犯した罪の告白を聞き、試練を与えた上で、浄化された魂をこのかたの体に返さねばなりません。儀式が肝心なところへ差しかかった折もおり、このような申し立てがなされた以上、そうするより他にない」
 そこまで言った声がわずかに震える。私は僧服の背中にすがりながら、そっと表情をうかがった。尼僧長の目は、ひたとネグトレンに据えられていた。
――― いいように嵌(は)めおったな、覚えておりゃれ」
 慈愛の尼僧が、かみ締めた歯の奥でつぶやくのを、背中にくっついていた私だけが聞いてしまった。
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