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カルサレス卿の獄中記(14)
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「さて、儀式を始めましょうか」
 尼僧長が立ち上がったので、私も立った。
 兵士たちが椅子を脇にやり、詰め所の机を寄せて来ると、尼僧長のお供の男たちが集まって、粗い木の机にしなやかな布を広げ、持参したさまざまの品を並べ始める。
「聖典をお持ち?」
「いいえ」
 私は首を振った。捕われた際に、所持品はみな没収されているのだ。
「クエイサさま、こちらを」
 副官が粗末な冊子を差し出している。
「卿のご乗馬の鞍下に、小さいのが一冊ございました」
「おや」
 鞍の物入れに、そんなものが入っていたとは知らなかった。
「きっと家のものが、お守り代わりにと入れてくれたのだな。ちっとも効かなかったが」
「ふざけてはなりません」
 聖印を切りながら、尼僧長がおごそかにたしなめた。すでに儀式ばった身振りが始まっている。助祭らしき男に合図を送り、私の聖典を高く差し上げた。
「ここに、あなたのこれまでの信仰がある。これを捨てることを、承諾なさるか?」
 私はこくりとうなずいた。もともと熱心な信者ではなかった。未練はない。
 目の前に伝道教会の聖典が広げられ、助祭がそっと介助して、私の読むべき一文を指さした。
「はい、何もかも捨てます。しかし、私が今この場に投げ出せるものと言えば、我がうつろな体を満たす、うちひしがれた魂と、あとは粗末な持ち物ばかりでございます」
「それでよい」
 尼僧長はうなずいて、助手たちに短く合図した。
「お召し物をいただけ」
 一糸まとわぬ姿にされるのかと慌てたが、厚く重ね着していた長衣の一枚と、靴を奪われただけで済んだ。
「あなたは一旦カルサレス卿ではなくなります。ご自分を空(むな)しくして魂まで差し出し、うつろな体だけになるのです」
 儀式ぶりを消した声で尼僧長が説明するあいだも、私は裸足で立ち尽くしていた。
「今のあなたは貴族ですらありません。床に膝を付いて」
 言われるまま、硬い床に膝立ちになる。他の者は皆立っているので、私はこの部屋の誰よりも低い身分となった。
 また、聖典の一頁が示された。
「私は伝道教会の高き御堂におすがりします。生きている限り、またそののちの世も、神の深き御ふところに庇護されることを望みます。どうか私が得たこの世の財貨の、すべてをお取りください」
 ギョッとさせられる一文だが、次の行を見れば、尼僧長のセリフがこう続く。
「いや、それには及ばない。差し出すのはあなたが持つこの世の財貨の十分の一でよい」
 最後は金の話である。しかし手持ちの額から割り出せばいいわけだから、こちらのサイフ事情もおかまいなしの身代金請求よりは、大分良心的なほうだ。カルサレス領主館の資産目録の十分の一が、羊何頭ぶんにあたるかを知ったら、尼僧長はどんな顔をするだろう。
 ジャッという音がして、見ると助手が私の長衣を片方の袖だけ引き裂いていた。靴も止め具の部分を大きく引きちぎられている。面積か長さか、どういう基準による十分の一か知らないが、定規で測ったものらしい。
「では、持ち物の十分の九とともに、あなたの魂をお返ししよう。嘘いつわりのない信仰の吐露により、あなたの魂は清められた」
 助手たちが私の衣類を尼僧長に手渡した。あの中に私の魂も畳んであるということか。
「清らかになった魂は、もはや物欲によって堕落しない。生きていくに足りるだけの持ち物は、あなたが持っているがよい」
 尼僧長が、片袖になった私の魂を広げ、肩にかけようと差し出しながら歩み寄る。
「カルサレス卿、伝道教会は喜んであなたを ……
 金を払うことを承諾したからか、私は貴族に戻れたらしく、立っていた者たちが一斉に膝を折り、私への礼を取り始めた。そこへ ―――


「その男に、貴族の礼を取るのはよしたがいい」
 無遠慮な声がして、皆一斉に振り返った。
「ネグトレン、お前か」
 詰め所の窓に片肘をついていたネグトレンは、ひらりと窓枠を超え、室内に立った。
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