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カルサレス卿の獄中記(13)
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 数日後、迷える囚人の魂を救うべく、高潔の尼僧が馬車でシオレンカ砦に乗りつけた。


 伝道教会派は、北方ユワクのあらゆる地域に信徒を持つという。富裕層からの寄進も多く、権威すじへの発言力の大きさは、そのおかげもあるようだ。
 プノールンプルン王が南ユワクへと進撃を開始するや、糧食の調達や下働きなどの労働力として、伝道教会はみずから進んで信徒を貸し出した。そのうえで交換条件を提示したのである。騎士や兵士たちが規律のもとに動くよう軍中枢に働きかけ、戦乱には付きものの略奪や、地元民の財産の徴用をさせずにいる。
 その元締めがクエイサ尼僧長である。さぞかし威風堂々とした、押し出しいかめしい人物なのだろうと思いきや、装飾より実用面が勝つ頑丈な馬車から降り立ったのは、丸っこい小母(おば)さんだった。出迎えた隊長も副官もこのふっくらした尼僧が差し出す手を押しいただき、滑稽なほどへりくだっている。
 塔の階段を登るのは足にこたえると言うので私のほうが降りて行き、我々は塔の最下部、牢番が使う詰め所で対面した。


「ま、聖キエトさま ……
 会うなりまず拝まれてしまった。
「姉妹たちの申していたとおりですわ」
「姉妹たち …… 、修道女たちのことですね」
「ええ」
 クエイサ尼僧長は焼きたての丸パンのような合掌越しにうなずいた。
「信徒は皆、兄弟姉妹です。私にとって娘や孫のようであってもね」
「確か聖キエトも若かった …… ええ、殉教の騎士でしたかな」
 隊長が首をかしげながら、尼僧長の椅子を整える。
 尼僧長はハンという息だけで返事をし、僧服の裾をさばいて腰かけた。
「聖キエトさまは平民の少年ですよ。包囲にあった街で信仰を守り、人々を最期まで力づけたのです」
「でござった」
「あなたは戦記ものしか勉強なさらないから」
 ひとにらみで王侯も武装を解くというだけあって、雅量ただよう物腰には確かに人を従わせる力があるようだ。
 私もかしこまって席に着いた。
「聖キエトは、最近の戦で亡くなったかたですか?」
 にわか信者の私もつい生徒めいた態度になってしまう。
 真面目な発心をよしとしてか、尼僧長は真っ直ぐ私に向き合った。
「いいえ、もう百年も昔の聖人ですわ」
「長く尊敬されている人なのですね」
「ま、このあたりでは過去何百年にも渡って、新興王とそれに対する南からの鎮圧部隊が、どこかしらで戦っておりましてね」
 非業の死をとげた聖人には、事欠かないというわけだ。
「和睦になればなったで、職にあぶれた傭兵たちが近隣を荒らすのです。この地は静まることがないのですわ。やまぬ騒乱はこの地の歴史であり、進行中の現実です。今度のは長引いておりますの」
「ふむ。南ユワクの王国が油断を見せるたびに、北方の辺境貴族がスキありと国を興(おこ)すのだから、迷惑ですよね」
「ごほん、うぉほん」
 咳き込んだのはイウォリ隊長だ。プノールンプルンの忠臣がいるのを忘れていたのはまずかったが、尼僧長どのは構わずうなずいている。
「争いの風は平原にまで吹き伝わっていますのね。そうしてシバムの向こうから、はるばるあなたがおいでになった」
 尼僧長は静かに言って、僧服の胸元から、手のひらに収まるくらい小さな二つ折り聖画を取り出した。パチリと開いたのを受け取ると、
「これは、うーん」
 図像には確かに私とそっくりな断髪の、黒髪の少年が描かれていて、健気な様子で民衆に手を差し伸べているのだが、表情はいささか感情過多に表現されており、唇を歪ませ、眉尻は情けなく下がり、ずばり言ってメソメソと泣いているのだ。
「確かに似ておられる。卿も時おりこんなお顔をされますな」
 隊長がうふふと笑うと、副官以下、儀式に立ち会いに来ていた兵士たちも、どっと吹き出した。
「女たちが騒ぐのも、もっともな」
「聖キエトはやはり女子供に人気ですなあ」
「私などは、聖ニシマの壮烈な殉教に憧れますよ」
「それがしは聖グエリンデのような女性のためなら命も捨てる」
 信徒たちは口々に言い、それぞれに懐中から携帯聖画を取り出してみせた。
 尼僧長はいちいち額に押しいただき、これは大昔の人物だとか、この地の民間伝承から取った逸話だとか解説を加えた。
「いずれも聖人の列に加わった時期はまちまちですけれどね」
「そうですか」
 泣き虫の子供に似ていると言われて私はむっとしており、そっけない相づちになった。
 なるほど伝道教会は、民衆の好みに合わせた聖人を、各種取り揃えているというわけか。信徒も集まるはず、商売上手で結構だ。にしても、手渡されたままになっているキエト少年の置き場をどうしよう。
 宗教的因縁に燃えた尼僧長の目は、今にも「それはあなたがお持ちなさいな」と言い出しそうなのだ。自分そっくりの美麗肖像を持ち歩くというのはあまりぞっとしない。
 とはいえ情感豊かな彩色画は久しぶりの目の保養ではあった。女ウケとはこういうことかと、私が興味ぶかく少年の泣き顔を検分しているあいだも、尼僧長の静かな声は続いた。
「聖人譚として人々の記憶に残るような、あらゆる悲劇がここでは繰り返されてきたのです。いつの時代も暴力にさらされてきたのは、そのキエトさまのような子供や、女たちでした。わたくしの家は、かつてそのはた迷惑な勃興貴族のひとつでした」
 驚いて見つめ返していると、尼僧長は私の手から聖画を取り、丸い両手でそっと包んだ。
「南からの支配に反旗を翻したわたくしの祖父は、反乱に失敗して討ち死にしました。落ちのびた父は、守りとおした財産のすべてを投げ打ち、北ユワクの各地に、尼僧院を建てたのです」
…… そうだったのですか」
 商売上手と言ったのはぜひ撤回したい。だが口にしていない言葉を撤回することはできない。私はただ、神妙に小さくなった。
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