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カルサレス卿の獄中記(11)
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「そいじゃ」
 ごそごそと鍵束を探りながら、ネグトレンは扉へ向かった。
「しばらくはこのむさ苦しい顔がお邪魔することもなくなりますんで、せいぜい元気をお出しんなっててくださいよ」
「どこか行くのか。前線か」
「また、こいつを私がご領地まで届けますんで」
 ネグトレンは手紙の束で胸元をぱんと叩いた。
「一度行って道を知ってることだし、他の奴が行くより手間がはぶけると、隊長どのに売り込みまして」
「そうなのか。遠くまで何度もご苦労だな」
 私が捕虜になって最初に書いた手紙も、このネグトレンが使者として選ばれ、平原まで運んだのだそうだ。
「いやね、別の奴が行ったら、ありゃ大貴族どころじゃねえって、隊長にあらいざらい報告されちまいますからね。あのつつましやかな領主館を見りゃ一目瞭然だ」
「つつましくて悪かったな …… いや、ありがとう。何から何まで助かるよ」


 私に火をつけたこともそうだが、上官への報告をごまかしてまで、この男が私をかばってくれるのはなぜだろう。不思議に思って一度訊ねてみたことがあった。
「隊長は“敵方の要人、我が手中にあり”と、本陣に向けてそりゃあもう派手にぶち上げちまってますからね。それがおジャンになったとなりゃ、名誉挽回と焦ってどんな強攻策をひねり出すやら。敵の砦のふたつみっつ、まとめて落としてご覧にいれるなんて言い出しかねない。無茶な戦闘で命をムダにするのは、こちとらご免でさ」
 だそうだ。
 聞けばイウォリ隊長の歴史狂いは筋金入りで、歴史書に出てくる有名な合戦を実地になぞってみるのが何よりの楽しみなのだとか。
 守るべきときに攻めの陣形を取らされたり、意味もなく川岸へ布陣させられたりで、兵士にとっては迷惑な話である。命令どおりに動いていたのでは自分の命が危ない。身を守るため、ネグトレンと同じく任務に独自の解釈をほどこしている者も少なくはなさそうだ。
 そんなことでよく部隊がまとまっていると心配になるが、戦果がなくともうまいこと史実を再現してあれば特別の報酬があるらしい。腰巾着の副官はもとより、各小隊長たちも歴史書を勉強し、ありきたりの作戦でも隊長が好む場面に似て見えるよう、苦労して演出しているのだそうだ。
 私もきっと、そんな歴史書のうちのいずれかに出てくる実在の人物になぞらえられてしまっているのだろう。歴史には詳しくないが、さしずめ“塔の貴人”といったところか。
「全部バレて隊長の筋書きを台無しにしたら、私は首をちょん切られるのかな」
 私が言うと、ネグトレンはいやいやと声を落とした。
「お天道さまの下で華々しく首を落とされるのは、価値のある捕虜だけでさ。旦那の場合はそう、きっと闇から闇へ ……
 私がぶるると首をすくめるのを見て、ネグトレンは明らかに楽しんでいた。あわれな囚人をおちょくるのも、牢番の特権のひとつだ。


「旦那」
 出て行きかけて、ネグトレンはまたぶらぶらと戻ってきた。
「こないだんときはご家令にまとめて手紙を渡しただけだったが、今度はベレンツバイの様子も見て参りましょうか」
「いや、いい!」
 私はぶんぶんと首を振った。
「いいんだ。そうだ。お前余力があるなら、ツオダイのほうまで足を伸ばしてみてくれないか? 大回りになるが」
 この砦から西へ向かい、シバムの峻嶺(しゅんれい)を越えたのち、丘陵地を北へだらだらと行けばそこがカルサレス平原だ。北へ道を取らずにそのまま西進すれば、ツオダイの森林地帯にぶつかる。
 ネグトレンは首をかしげた。
「ツオダイの役所に、化け物退治の報酬用の金貨が常備してあるかも知れんと?」
「うちからの何かをカタに、しばらくのあいだ借してもらうことができないだろうか。頼むだけ頼んでみてくれ」
「ふうむ、そいつはいい」
 私は白紙を取って書き始めた。ネグトレンは剣を抜く真似をし、十字に振り回している。
「ついでに森で化け物を退治して、報酬として金貨をいただいて参りましょう。捕まえますよ。でかいやつを! うあ、手ごわいぞー」
 私は憮然としてペンを止めた。書きかけの紙をくしゃくしゃと丸める。
「言ってみただけだから」
「へへ、そう腐らずに」
 ネグトレンはなだめるように片手を振った。
「いや、あのホラ吹き野郎がね。ツオダイに化け物退治制度があると言ったのは嘘っぱちだったと、吐いたんでさ」
「そうか」
 私はなんだか拍子抜けがして、小卓にへたばってみた。ハハと乾いた笑いがもれる。
「このあいだの罰か? 尼僧長はホラ話の真偽まで追求したのか」
「いや。奴は婚儀の前の潔斎ってのをやったんでさ。これまでついた嘘を人前で洗いざらい撤回することで、魂が浄化されるってね」
「こ、婚儀? のんきだな、この砦は」
 ネグトレンはボリ、と頬をかいた。
「兵士の結婚は奨励されてますぜ。養い口が増えたとなりゃ、男は張り切って稼ぎましょうからね」
「しかし、そんなにぎやかな様子はなかったが」
 兵舎で祝宴でもあったのならここからでも気づくはずだ。
「ここじゃ特別なにもやりません。当人たちだけが、尼僧長のいる教会本部まで出向いたんでさ。ちょうど今は隊長も近場にいて、許可がもらえたしね」
「ふうん。で、相手は」
「シュゼッタでさ」
 私はぽかんとネグトレンを見た。彼もお手上げという仕草だ。
「自分のために異境の苦行を耐え抜いたいじらしさに惚れたんですと」
「いいなあ、幸せで」
 ついしみじみと言ってしまったら、ネグトレンが勢いよく吹きだした。私は丸めた書き損じを投げつけた。
「ぶは」
 見事に顔の真ん中に当ててやった。ネグトレンははね返ったのを器用に指ではじき、手首を回してつかみ取る。
 そのままゲラゲラ笑いながら、礼儀知らずの牢番は独房を出て行った。
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