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カルサレス卿の獄中記(10)
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 ネグトレンはニヤニヤしながら紙くずを拾った。
「娘のやりたい放題を許してるんだ、親もすごい。やり手の一家なんですな」
「ベレンツバイは代々、河の合流点の関門を守る家だ。北の海へ向かう交易船の通行を一手に仕切っている」
「は?」
 私は手紙を別紙で丁寧に包んだ。余計な演出はやめだ。
 ネグトレンはぽかんとこちらを見ている。
「土地の領主は旦那でしょうが? 通行税やなんかをでっちあげて、旦那が河を牛耳りゃどうです」
 包んだ紙を一旦広げた。真ん中に表書きを書くのだ。丁寧にインクの泡を落とし、しゃっと派手な音を立てて、一気に書いた。
「うちの先祖がそんなことを思いつく前に、ベレンツバイの勢力のほうが大きくなってしまったんだ。もう領主の私でも関門に手出しはできない」
「へええ」
 ネグトレンは首を振って壁にもたれた。
「格下のお姫さんのほうから旦那を名指しできたってのはそれでだ。家柄はなくとも、ずっと力があるんですな」
「だからって彼女は、領主の妻の座が目当てなんじゃないぞ」
 私はぴしりとペンを置いた。ペン枕などないが木目のデコボコで十分だ。
「私なんかと結婚したってベレンツバイの家には何の益もない。彼女にはガッコの港の総督から、もっといい縁談が来ているし」
「いい縁談ね」
 ネグトレンのブーツが小さくきしる。
「旦那はそうは思わなかったと」
 言葉は相変わらずだが、声にからかう調子がない。同情されているのだ。いつものように揚げ足を取られているほうがずっとよかった。
「誰にとっても利点だらけの政略結婚に勝つために、旦那は中央へ出て、いまいちパッとしない家名にハクをつけて帰る必要があったってわけ」
「ああそうだよ。領主といったってパッとしない。うちは何代か前にダシートに朝貢して、はるばるよく来たなという程度に旗標を授かったことがあるだけなんだ」
 ネグトレンは愉快そうにうなった。
「なかなか意気のあるおかたじゃないですかね。自分を妻に欲しけりゃ戦場で名を上げて来いと、好いた男にハッパをかけ、用意の甲冑を着せて送り出す」
「好いた男か」
 私は見事に書けた表書きを眺め、のろのろと吸い取り紙をあてた。
「あの姫なら身代金も全額出すぐらいのことは言ってくれると、私はどこかで期待してたんだ」
「ずいぶん自信のおありなことで」
「根拠のない自信だったな」
 領主の署名が心残りだ。私に残されたたったひとつの根拠なのだから、わざと汚したりせず、やはりきれいに書くべきだった。
「家令からの返信には、ベレンツバイ家の反応について何も書いてない。きっと書けないくらいのことを言われているんだろう」
「かなりの額だ。親たちを説得するのに時間がかかってるのかも知れませんぜ」
 私は肩をすくめて表書きをたたみ、折り目をもう一度押さえた。
「私はもう見切りをつけられたんだ。華々しく戦って中央ユワクで名を売るどころか、迷子になって捕まったのだもの。仕方ないと思うよ」
 そらと最後の一通を差し出す。
「やれ、弱気なこって」
 ネグトレンは手紙をつまみ上げ、弱気の束にぽすんと重ねた。
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